【マドモアゼル・愛 】縁をたぐり寄せながら作る未来 | へっぴりごし

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井戸端談義のネタにでも

誤字脱字が多いのは、年のせいにします。w

【マドモアゼル・愛 】

 

すべての事象は縁により生じる、、、というのが、仏教の教えの中にあったと思いますが、それは仏教に限ったことではありません。とくに、ひとつの時代が行き詰り、新たなものを生み出す力がどこにもない場合、私たちは何を頼りに進めば良いのでしょうか。

地位も金も能力もない私たち一般人が未来を作るには、縁を頼りにするのが自然なことだと思います。ただしここで言う縁とは、遠い親類を頼って、、、というような縁ではなく、まだ見ぬ形にならぬものが生じる前に、そっと心の奥に現れる新たな振動、、、これまでに感じたことのない、ある感覚や理由のない感情など、まず最初にそうした微細な変化が心に生じることだと思います。

誰にでも、そうした体験があるはずなのですが、日頃の価値観や日頃の考え方に染まってしまっている私たちには、新しく生まれつつある、心の中に起きつつある振動を察知できない場合が多いのだと思います

時代が行き詰り、新たな変化を求めています。その時、従来のもので心を固定化させることは、未来の道を閉ざすことであり、魂の訴えを無視することでもあります。

私たちには、誰にでも、その人の運命の予定表のようなものがあり、そこには様々な出会いや可能性が用意されているのではないかと思います。

私たちは出会うべきものと出会い、出会うべき人と出会う、、そうなっていると思うのです。とくに行き詰った状況においては、そのスピードがアップし、出会いの重要性はきっと大きくなっていると思います。

その予兆を心や魂はきっと捉えているはずで、出会いが近づいた時に、日常性で凝り固まる心を、揺さぶるような振動がおそらくあって、予感のような形で私たちに訴えているよう思うのです。

社会が崩壊の度を深めているということは、現存する機能の中から未来が生まれるよりも、新たな出会いがもたらす新たなものが生まれることで、時代は変わっていくように思います。そして、その責任をすべての人が負っていることになります。

魂を叩く何かの音がきっとあります、、、心の奥を叩く何かの音がきっとあります、、、、。そこに耳を傾ける時、実際の出会いも訪れてくるのではないでしょうか。

火の卦もないところで、すでに、私たちの魂は新たなものの到来を知っており、変化を受け入れる意思さえあれば、新たな出会いが具体的に訪れることになるでしょう。内的自分の変化に気づくことの重要性が増しています。

この番組を通して皆さまに出会えたことでさえ、偶然に見えて、内的変化があったあとのことだったと私には感じられます。そうした小さなご縁によるつながりから、未来が始まっていくことが多いように思います。