『忘れてないもの』が『覚えたこと』
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各支部の昇級審査が終わった。
皆さん、私の予想を上回る成果を出してくれた。この成長速度なら……、と期待されたことだろう。しかし、あえてここから型をやらずに、肉体鍛錬の期間に入る事とした。以前から決めた事だった。
約二ヶ月は、昇級審査のために集中して使い切ってもらった。それだけ長い期間だと、集中力が途切れたり、飽きが来たりもしながら、学びと成長をして行く。『審査』という目標に向かって。
そして、一旦その結果を得ると、覚えた技が荒れていく。これは、何度となく見てきた、自分でも体験した光景だ。いわば、自分流になってしまう。
ここで、根本的な肉体鍛錬を挟みつつ、三ヶ月という長い期間をほぼほぼ、覚えた型から離れてもらう。
すると、型に対する飢餓感や、新たな気づきや興味が湧いてきたりする。頭が勝手に深掘りを始めるのだ。
しかも、三ヶ月という期間に練られ、鍛えられた肉体で行う型は、三ヶ月前のそれとは違うレベルでかかる。さらに、型への興味が深まる。
私は、このサイクルを見つけてから、技の上達が飛躍した。
そして、よく受ける質問、
「せっかく覚えた型なのに、勿体無い気がする」
ヤマト会の稽古は、脳神経回路を作るように設計してきている。もし忘れてしまう型や手順、コツなどがあれば、それはいざという時には使えないものだ。無いものと同じなのだ。
忘れられないもの
それが、
身についたもの
忘れたら、また身につければいい。そうやって、薄ーい紙を一枚一枚、丁寧に重ねていく作業が、武術の習得ではなかろうか。