お越し頂きありがとうございます。

筑後の四代目畳屋、波動畳職人、

近本秀明です。


過去の記事ですが、これを書いて2~3年たちますが、

自分自身の変わりめだったのかなと今も思います。







私がなぜ、畳屋に生まれてきたのか?


なぜ、日本に生まれてきたのか?


理由があったようだと話しだすと、ウチカフェさんも、


生まれるときには、どの国に、どの時代に、男性か、


女性か、そして、どの父親と母親の子供として


生まれてくるかを自分で選らんで生まれてくるらしい。


と言われました。


生まれるまえに、自分はここのところが足りないので、


そこを修行するためにこの両親の子どもになろうときめて


生まれてくるのだそうです。




     ここで、この2~3年に

私に起こったおおきな心の変化をお話しします。

小林正観さんの本の中に、人はなぜ生まれてくるのか?


人は自分の「我」エゴを無くす為に


生まれてくるのです。と書いてあったんです。


 その時に、なるほどと思ってしまいました。


私はチョット前まではエゴのかたまりでした。


私をもっと見て、私をほめて、認めて、もっと私をチヤホヤしてと。


他人と比べてまさっている所があると優越感いっぱいで鼻高々で、


その相手に対していばったり、他人と比べて劣っている所があると


劣等感いっぱいでおちこんだり、その相手に対してへこへこしたり、


そんな私でした。



自分のことしか考えていませんでた。



   そんな私が、


「生まれてくる目的はエゴを無くすため」

と言うことを知るわけです。

それはエゴだらけの私がエゴを無くすことなのです。


    これはキツイ。 これは辛い。


もっと、褒められたり、認められたり、チヤホヤされたい。


これを無くせば自分の存在がなくなってしまうようで、


なかなか無くしてしまうことなどできませんでした。


   

   でも、あるとき、思ったんです。



「エゴ」と言うものを自分だけに都合の良いこと、だと考えれば、


世の中、自分だけに都合の良いことだけが起こるとするならば


なんと私自身は心地よく、嫌な事が一つもなく、わがままやり放題、


全ての物事が、自分の思いどおりに運んでしまうんだと。


なんと面白い事でしょう。なんと愉快な事でしょう?



     そうでしょうか?


全てが自分に都合のいい事だけしか起こらなければ、


全て思った通りに物事がなるんです。


これってチットモ面白くないと思えたんです。


全ての事が、自分の都合のいい事だけしか起こらないのであれば、


生まれて来なくてもよかったんじゃないかと、生まれてきて


修行する意味がないんではないかと、思えるようになったんです。


  

   すると、



自分だけに都合のいい事しか起きない、と言うことが


あるはずがない。と言うことを受け入れることができたんです。



すごく当たり前の事なんですが、その時はものすごく


腑に落ちたんです。


  そうなると、



自分にとって都合の悪い事が起こることが当たり前に


思えたんです。

自分にとって都合の悪いこと、嫌なこと、きついこと、辛いこと、


悲しいことがあるから生まれてきたんだ。


そう言うことを乗り越えるために、そして、その時に魂を磨くために、


生まれてきたんだと思えるようになったんです。



そんなふうに思えると全ての悪いこと、嫌な事、辛いこと、


悲しいこと、嬉しいことも全てを受け入れることが


できてるようになったんです。



なんかものすごく肩の力が抜けて、心が穏やかになりました。



そして、私が私を好きになれたんです。