いつも読んで頂きありがとうございます。


筑後の四代目畳屋、波動畳職人、

                近本秀明です。


 


今日、映画 レ・ミゼラブルを観てきました。



子どもの頃『ああ無情』という題名で読んだ事が


あったと思います。



今日は、波動畳職人的な見方で観たレ・ミゼラブル


で感じた事を書いてみました。



妹の子供のためにパンを盗んだ罪で19年間


服役したジャン・バルジャンが仮釈放される。



身分証の代わりに釈放状を持ってさまよう彼に


世間の風は冷たかった。



疎外感に打ちひしがれたジャン・バルジャンは


司教に助けられ、食事と一夜の宿を提供してもらう。



しかし、その好意に背き、銀の食器を盗み出した。



警察官にこれは司教にもらったと嘘をつくが、


司教は、そうです、それは差し上げたものです、


と言う。さらに、



忘れ物があるよ、君が慌てて出ていくものだから、


この燭台を渡せなかったと、そんなジャン・バルジャン


を司教は許し、食器に加えて燭台までも持っていけ


と差し出した。




その真心(自分を一人の人間として扱ってくれた、


そして好意に背き盗みをした事までも許してくれた事)


に触れたジャン・バルジャンは身も心も新しい人間に


生まれ変わると誓う。



この時の司教がとった行動を観て、あ、これなんだ


と思った。



以前、「ギブ アンド モアギブ 」というブログに


書いていた事を司教が行っていたのです。



なんと、与えて、与えて、もっと与えたのです。



以前、ブログには書きましたが、その様な


状況の時にはたして自分には、出来ただろうか、


与えて、与えて、もっと与える事が。



自分にはできないように思えました。



でもその司教のその行為が人を信じない、


かたくなに心を閉ざしたジャン・バルジャンの


心を氷を溶かすように開いていきました。



人は自分のことを思ってくれる人がいると


分かった時にこの人を裏切る訳にはいかないと


深く、深く思うのでしょう。







それともう一つ、


1832年、パリ。


七月革命によってブルボン王朝が倒れたあと、


フランスは立憲君主制に以降。



国民王ルイ・フィリップの統治下で中流階級の


暮らしが豊かになるかたわら、労働者や学生たち


は貧富の格差に不満をつのらせ、自由で平等な


社会の実現を求める革命の機会をうかがって

いた。



この様な時代背景だが、王朝が国民によって


つぶされる事が明確にイメージできていない


自分がいたが、欧州の絶対君主制に反対して


起きてきたのが民主主義であると、近代になると


世界では君主から権力を取り上げ、国民がこれを


手にするための戦いが繰り返されてきたと


聞いた事がある。




まさに、その様なシーンがスクリーンの中で


起こっていた。




 私たちの国、日本においては天皇と国民が


対立する関係になった事がない。


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天皇にとって最も大切なものは、国民であり、


天皇にとって最大の幸せは、国民の幸せである


という事なのです。



これは仁徳天皇の美しい逸話によってもうかがい


知ることができます。



仁徳天皇が高台にお立ちになり、民家から炊煙が


上がっていないのをご覧になり、しばらく徴税を


停止される旨を命ぜられた。



その三年後に天皇は再び高台にお立ちになり、


今度はしきりに炊煙が上がっているのを


ご覧になって、皇后に次のように仰せになったと


伝えられています。




「天が君主を立てるのは、民のためであり、


君にとって民は根本である。だから、民が一人


でも飢えるのならば、君は自らを責めなくては


ならない」と。



昭和天皇は「自分の命はどうなっても構わない」


というお言葉も言われているという事です。



 外国の事がわかれば今まで気づかなかった、


当たり前だと思っていた日本の良さを知る


ことができます。



私たちは、この様な素晴らしい国、日本に


生まれてきているんだと、本当に


ありがたいなあと思えました。



これが レ・ミゼラブルを観て感じた

事です。



もちろん、その後のジャン・バルジャンの尊い行い


には涙なしでは観られませんでした。



自分に嘘のない生き方をしたジャン・バルジャン


が天国に召されていく時は目に涙をためながらも


なぜか穏やかな、晴れやかな気持ちになれました。