筑後の四代目畳屋、波動畳職人、

               近本秀明です。


 前回の嫌だった畳屋 の続きを書きます


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 前回では、祖父や父が晩ごはんの時に仕事の


グチとか、上手く行かない話とか他人の悪口とかを


話すのでというようなことを書きましたが、


いい時は上機嫌になり、自慢話しになり、悪い時は


不機嫌になり他人の悪口を言う分かりやすい性格


だったんでしょうけど、そのへんが好きではなかった


、嫌だったんだろうと思います。





なのでそんな畳屋になりたくない。



そんな畳屋をしたくないと、そう成りたくないと


思っていたんでしょう。




だからといって何がやりたいとかはなく、


大学まで行かせてもらって国立大学の研究室に


公務員として勤めそこを2年でやめ、いろんな仕事に


つきました。



 漬物屋、木工所、本のセールス、布団のセールス、


電話機のセールス、セミナーの営業、といろいろ


した時にやっぱり勤めるより自分でしたいんだと

やっと思えるようになりました。



そう考えてみると新たに何か始めるよりもすでに


設備が整っている畳屋をしようと思いました。



畳だったらどの家にもある、必要じゃない様な


ものまで(ちょっと言いすぎ)飛び込みで売ってき

たので、畳は売れる、売り上げを上げてみせる。


という意気込みでした。



いざ、畳の仕事を始めると、父としたらはじめて


弟子ができたこと、息子が畳屋を継いでくれたこと


の喜びもあったのでしょうがみょうにはりきり、

親方風を吹かせまくり、白のものも父が黒といえば


黒を通す。



私はそれに、「はい」のひと言で従い。



一年間は黙って従いました。


そして、チラシを作り、親より早く起き、朝6時から


チラシをポスティングをし、そして朝ご飯を食べて仕事。



もちろん直ぐに結果が出るわけがなく、半年目に


やっとチラシで注文がくる。




その時、父がかけた言葉が



「その家は前からうちのお客やった」です。





(お前がそんなにチラシを配っても何にも変わらん)



というような口ぶりでした。



悔しくて結果がでるまでやり続け、新しいお客さん


が増えてくると父は黙ってました。




3年やり続け今までの2倍の売り上げにしました。



父に認めてもらいたかったんだと思います。




父はほめてはくれなかったけど。



この頃は売り上げを上げること、結果を出すこと


に喜びを感じていた様に思います。



この頃は畳屋が嫌いということではありませんでした。



でも、自分も知らなかった畳の良さを若い人たち


にも知らせて行かないといけないなぁと思える様に


なっていました。





この続きはまた次回にお話しします。