筑後の畳屋四代目、波動畳職人、
近本秀明です。
私の小学校区内に日本に誇れる塔が
建っています。
『日本相撲史』の江戸著名力士の中に
その名を残している
『秋津島浪右衞門』の供養塔です。
彼は 元禄10年(1697年)
当時の下妻郡久郎原、現在の福岡県
筑後市津島東に生まれる。
子どものころから体も大きく、力も
強かった。
享保元年(1716年) 19才で江戸に上がり
力士となり、相撲に精進し
その努力が
実り技術が上達し、名人の称号を受け
『天下第一』と
言われるようになった。
最盛期には、身長約182cm、体重
150kgで
当時としては巨体といえる体と怪力を
武器に20数年間も
現役で活躍し2000勝以上したと言われ
ています。
寛保2年(1742年) 2月には、秋津島の
引退相撲を
久留米市津福で行なったと言う事です
そして、翌年、
(1743年) 47才で久郎原で亡くなってい
ます。
その100後『秋津島浪右衞門供養塔』
が建てられました。
この写真は
2007年11月2日 『大鵬関』がこられ
た時の写真です。
このように、今までの歴代横綱のほと
んどが
この地を訪れ横綱になった報告をして
いきます。
尚、秋津島浪右衞門の遺徳を偲び、
毎年9月23日
八幡神社境内の相撲場で奉納相撲を
行ない、午後5時より供養塔へお参り
し集落内を
神輿行列が練り歩きます。
1876年秋津島の名前を
もらい久郎原から津島に変えて現在
津島東となっています。
日本一の相撲取り、力士が私たちの
地元にいたということは
誇りに思います。
近本秀明です。
私の小学校区内に日本に誇れる塔が
建っています。
『日本相撲史』の江戸著名力士の中に
その名を残している
『秋津島浪右衞門』の供養塔です。
彼は 元禄10年(1697年)
当時の下妻郡久郎原、現在の福岡県
筑後市津島東に生まれる。
子どものころから体も大きく、力も
強かった。
享保元年(1716年) 19才で江戸に上がり
力士となり、相撲に精進し
その努力が
実り技術が上達し、名人の称号を受け
『天下第一』と
言われるようになった。
最盛期には、身長約182cm、体重
150kgで
当時としては巨体といえる体と怪力を
武器に20数年間も
現役で活躍し2000勝以上したと言われ
ています。
寛保2年(1742年) 2月には、秋津島の
引退相撲を
久留米市津福で行なったと言う事です
そして、翌年、
(1743年) 47才で久郎原で亡くなってい
ます。
その100後『秋津島浪右衞門供養塔』
が建てられました。
この写真は
2007年11月2日 『大鵬関』がこられ
た時の写真です。
このように、今までの歴代横綱のほと
んどが
この地を訪れ横綱になった報告をして
いきます。
尚、秋津島浪右衞門の遺徳を偲び、
毎年9月23日
八幡神社境内の相撲場で奉納相撲を
行ない、午後5時より供養塔へお参り
し集落内を
神輿行列が練り歩きます。
1876年秋津島の名前を
もらい久郎原から津島に変えて現在
津島東となっています。
日本一の相撲取り、力士が私たちの
地元にいたということは
誇りに思います。