この開元通宝をモデルにし、和銅元(708)年に造られた「和同開珎」が日本最古の貨幣とされていましたが、さらに古い7世紀後半に造られたとされる「富本銭」が奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で見つかりました。
富本銭は以前にも平城京跡や長野県高森町などで出土していましたが、まじないに使われた銭として考えられていました。
富本銭が日本最古の貨幣かどうか、さらに研究と調査が進められています。
708年の和同開珎以降、250年の間に12種類の貨幣が造られました。
朝廷が発行した貨幣という意味で、これらは「皇朝十二銭」と呼ばれています。
政府は皇朝銭を広く民衆に使わせようとしましたが、その流通範囲は主に近畿地方に限られていました。
また、銅不足から貨幣の質が落ちたため民衆の銭離れが起こり、政府の力も弱体化したため、10世紀末には皇朝銭の鋳造は中止されました。
皇朝十二銭以後、約600年間は、公鋳貨幣が造られなくなるのです。