うなぎの蒲焼き。 | 女浪士 あずみ

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うなぎの蒲焼きが最初に文献に登場したのは、応永6年に著された「鈴鹿家記」です。

その中でうなぎを筒切りにして串に刺し焼いて食べた、その姿形が蒲(がま)の穂に似ていたことから、「蒲焼き」と呼ばれるようになったと言われています。

他にも、うなぎを焼いた時のかんばしい香りが転化して、かんばや、香疾(かばや)、蒲焼きになったと言う説などもあります。

その後、室町時代までは塩で食べたり、酢みそ、辛子酢で食べられていたようです。

室町時代末期には、ぶつ切りしたうなぎに醤油や酒、山椒味噌などで味付けした「宇治丸」と呼ばれる蒲焼き料理が登場しました。 この料理は、近江の宇治川のうなぎが大変美味だった事が由来と言われています。 

蒲焼が現在のような形になったのは18世紀、天保年間に、千葉県銚子にある、現在のヒゲタ醤油、五代目当主田中玄蕃が、濃い口醤油を作り出したことに起因します。 

それまで良い醤油とは主に関西から入って来ていたのですが、濃い口醤油が江戸の人の嗜好に合い、大流行したのです。

これは、関西の薄味に対して、関東は濃い味と言う、お馴染みの料理文化にも繋がっています。

そしてこの時期に確立されたうなぎの蒲焼きと言う料理法は、完成された当時から現在まで変わらず続いています。