夏 花火。 | 女浪士 あずみ

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そのルーツは古く、紀元前3世紀の古代中国、火薬の基本となる硝石が発見されてからと言われていますが、日本での歴史上の記録に残る花火の第1号は、それから約2000年後の天正17年(1589年)7月、伊達正宗が観賞したのが最初であるとも云われ、それに慶長18年(1613年)8月駿府で、徳川家康に、英国人ジョン・セリーヌが、同行の中国人の手で花火を見せたという記録もあります。 

日本でのおもちゃ花火は、いつ頃から作られ売られたかはっきりとした記録はありませんが、万治2年(1659年)、大和の国(現・奈良県)から江戸へでてきた弥兵衛(初代鍵屋)が葦の管の中に火薬を入れた初歩的なおもちゃ花火を考案し売り出し、江戸庶民に爆発的な人気を得たと言われます。 

当時江戸に興隆してきた町人文化に支えられてきた花火人気は衰えることがありませんでした。

江戸のほか、花火が相当盛んであった地方は、三河・近畿・信州・越後・九州と言われています。

花火の人気と共に江戸幕府は花火の種類や火薬の量、使用場所や製造業者を指定したりして、安全対策を指示したようです。

当時の江戸では、防火対策として広小路をもうけたり、川の両岸に火除地をつくって、今日でいう防火ベルトをもうけていました。

明治のはじめ頃、西洋からの輸入により、塩素酸カリウムやストロンチウム、バリウムなどの彩色光剤を得て、日本花火の歴史上最大の躍進の時期を迎え、今日の世界一といわれる日本花火の基礎がつくられました。