肉料理。 | 女浪士 あずみ

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紀元1世紀頃中央アジアの貊(メツ)族の扶余(プヨ)と言う国では、官職名に動物に因んだ名前が多く記録として残っているので、食生活に肉食が多かった事が想像できます。

また、中国でも2世紀頃、肉を調味してして焼く料理の炙(ジョッ)と言う焼肉料理が伝わっている記録が残っています。

これは現在のように保存ができない為、生肉よりも安全な焼肉が必要だったことが想像できます。

しかし4世紀頃、高句麗、百済、新羅が朝鮮半島で力を持っていた3国時代になって仏教が伝わり、「動物殺生禁止令」が発令され肉食は衰えていきました。 

13世紀に、蒙古族が南下して再び肉食が復活
李朝時代になると仏教に変わって儒教が広まり、やがて家畜の放牧まで行われるようになりました。
孔子はユッケ(肉の刺身)が好きだったと言われています。

この頃、高麗の都の開城(ケソン)では、「雪夜炙(ソルヤジョッ)」と言う料理があって、硬かった労働用の牛肉を柔らかくするため、水に繰り返しつけて、焼いたようです。

元々内臓を食べなかったのですが、「ハツ(心臓)」だけは柔らかい肉として好まれていたそうです。

李朝時代の宮廷料理には肉や、ねぎを串に刺した焼鳥や、バーベキューのルーツが登場。

また「ノビアニクイ」と言う、調理人が味付けをした肉を炭火の上に張った金網で焼いて、食卓に出すと言う焼肉に近いスタイルが有りましたが、あくまで宴席料理であり、大衆的な料理では有りませんでした。