中世の時計。 | 女浪士 あずみ

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中国では紀元後200年から1300年にかけて、大掛かりの水時計が製作され続けました。

中でも、1092年の北宋時代に建設された水運儀象台と呼ばれた巨大な時計は、脱進機と歯車が連動し、時刻の他に、天文観測やカレンダーなどの機能を持っていました。 

日本では671年4月25日、後の天智天皇、中大兄皇子が漏刻(ろうこく)という水時計を設置したことが日本書紀に記録されています。

このため今の暦に直した6月10日が「時の記念日」に制定されています。 

水時計も水が蒸発したり凍ってしまう場合もあります。

このような問題を解決したのが、水時計の仕組みを応用した砂時計でした。

4世紀にフランスの僧ルイトプランドが発明したとされています。

実際に使われだしたのは、砂を入れるガラスの技術が進歩した13世紀からです。

この頃には正確な砂時計が、教会や裁判、個人の書斎の他にも、航海の船にも持ち込まれました。 

9世紀には、燃焼系の時計、火縄や線香、蝋燭の燃える量やアルコールランプのアルコール使用量を利用した時計が使われるようになりました。 

しかし、17世紀までは、日時計が一番正確な時計でした。

今でも、各地で中世の建物の壁や広場等に見ることができます。時計の針が右回りなのは、影が右回りの北半球で時計が発達したからというのが定説です