ふりかけ のりたま。 | 女浪士 あずみ

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日本で最初のふりかけは、大正初期、熊本の薬剤師・吉丸末吉(現株式会社フタバ)が作った
「御飯の友」という説が有力です。

日本人のカルシウム不足を補うため、小魚を乾燥・粉末にして味付けし、ゴマ、ケシの実、青のりなどを加えたものでした。

その後、1925~26(大正14~15)年頃に東京で「是はうまい」、28(昭和3)年に広島で「露営の友」、29(昭和4)年に静岡で小泉楼がふりかけを発売と、少量ながら各地で製造・販売されていきました。

ふりかけの元祖は熊本・東京・広島が発祥

熊本、株式会社フタバの「御飯の友」の歴史は大正の初期、熊本市で薬剤師をしていた吉丸末吉氏によって考案され、その後昭和9年に二葉商事(現株式会社フタバ)が引き継いでいる。

東京、丸美屋食品の「是はうまい」は大正14年、甲斐清一郎氏が福島市で作り出したと記録にある。また、広島の「露営の友」は昭和3年小松原要助氏が作り軍隊に納品しています。

東京の「是はうまい」の考案者は甲斐清一郎氏で福島市で食品の販売を業とするかたわら、食品の研究に没頭し、白身の魚を乾燥させ、昆布の粉末を混ぜ醤油と特殊な調味料で煮込んで乾燥させ、これに海苔・煎りゴマなどを入れた「ふりかけ」を作った。

味が大変うまかったので「是はうまい」と命名し売り出したのが大正14~15年ごろだった。

甲斐清一郎氏はこの商品を持って東京へ進出し東京荒川区で丸美屋食品研究所を興し、「ふりかけ」の製造販売を開始したのが昭和2年だった。 

皆さん馴染みの深い「のりたま」戦後の事です。