お正月 おせち料理。 | 女浪士 あずみ

女浪士 あずみ

ブログの説明を入力します。

お正月料理としてのおせちの始まり(江戸時代)
時代が大きく変わった江戸時代にはいると、徳川幕府によって、五節供を公的な式日(祝日)として定められ、幕府の公式行事ともなりました。

江戸時代の五節供は、1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)の5つで、現在でいう節句の元となっています。 

これらの行事は次第に庶民にも受け入られていき、同時に御節供(おせちく)料理も庶民の間に広まっていきました。 

この時期についてですが、一説によると「江戸時代後期に、元々は朝廷内で行われていた宮中行事を庶民が生活の中に取り入れるようになったのがきっかけ」だといわれています。 

やがて、一年間のうちに何度もある節句のうち、最も重要でおめでたいとされるお正月の料理として定着していきました。 

さまざまな食文化が生まれ発達していった時代を反映してか、料理の種類も増えていきました。 

おせちの中に入っているお料理のひとつひとつに意味が込められ、新しい年を祝うために食べるというのは江戸時代後期が元祖となります。 

この頃から続く風習で、大晦日におせち料理を作り、お正月には家族揃っておせち料理を食べるようになりました。 

ちなみに、当時の庶民のあいだでは「おせち料理」とは呼んでおらず、「食積(くいつみ)」または「蓬莱」と呼ばれていたそうです。 

意外なことに、「おせち料理」という呼び名が一般的に使われるようになったのは、終戦後(第二次世界大戦が終わって以降)になってからのことなのだそうです。 

それまでは各家庭で作られるのが常であった正月料理が、デパートでも販売されるようになり、その際に箱詰めにした正月料理を「おせち」という名称で売り出したのがきっかけだと言われています。