台風が来襲する時期は、日本にとっては最重要な農作物である米の生産においてもその収穫時期に当たり、台風が稲の前に来るか後に来るかでその年1年の努力が水泡に帰すことすらあるわけですから気が気ではなかったでしょう。
また、漁をする人たちにとっても海上で嵐に遭遇すれば当に生死に関わるのですから、台風の来る日を事前に知ることが大変重要でした。
こうして「嵐の来る日」として暦に載るようになったのが「二百十日」です。二百十日とは立春の日から数えて210日目の日だということから名付けられたものです。
同じような名前の暦日としては「八十八夜」や「二百二十日」があります。
二百十日を最初に掲載した官暦は貞享暦。
1684年のものです。貞享暦の編纂を行った渋川春海が釣り好きで、たびたび出かけた品川の漁師から教えられたのがきっかけだと言われていますが、それより以前に出された民間の暦、伊勢暦(1656年)に既に記載されていたとそうですので、実用性を考えてこれを暦の雑節として取り入れたものと考えられます。
二百十日は立春の日からの日数ですので、現在の暦であれば9/1(立春が2/4の場合)頃で変化しません。
ただ旧暦の時代は毎年月日が変化してしまうため暦注として記載して注意をしていたものです。