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江戸当時の給料は、お金ではなく、お米で支払われていました。
まず、その土地から採れる生産高のことを石高と言います。
なにをもとに決めていたかというと、徳川家康が国絵図、郷帳をつくらせましたが、それが元になりました。
耕地面積は、16世紀末から18世紀初頭までの100年間でおよそ二倍になっています。
ただ、耕地にはランクがあり、それぞれ上田・中田・下田・下々田というようになっていて、これを石盛といいました。
耕地面積によって単純に決定するのではなく、石盛に面積を掛けたものが石高となりました。
石盛は人によっても、また、土地によっても変わります。同じ人の土地でも、下田と下々田では異なるなど、いろいろな要素を考え合わせて決められました。
江戸時代初期の武士の給料は、地方知行制でした。
どういったものかと言うと、例えば二千石の旗本の場合、二千石の土地を与えられて、実際にその土地を耕している農民から年貢を徴収し、とった分が旗本家の収入になる、というシステムでした。