元旦から、正月気分も吹き飛んでしまう能登半島の大震災、思わず東日本大震災の記憶が甦り、大きな大惨事にならなければ良いがと思いました。

 

こちらも震度4、スマホの地震予告の警告音が鳴り響き、揺れる時間が長過ぎました。

 

東日本大震災のときは、気仙沼や福島に友達がいて、安否が夏まで分からず、安否掲示板に何度かメッセージを残しました。

 

避難所で見かけたと言うメッセージがあり、本当にホッとしました。

 

その間も続いた津波や火災の震災映像に、心が折れ、どれだけ涙したかしれません。

 

気仙沼の友達は幸い家の倒壊は免れたものの、電気も水道も夏まで使えず、避難所に行かないと食料援助も受けられず、川の水を運んで冷たい水で洗濯や身体を拭いたそうです。

 

肉親や親戚の不幸のあと、生き残った者の介護に追われ、身体も精神的にも疲れ切ったと話されていました。

 

長引く避難所生活に耐えられない親戚が住むことになり、夏には3世帯で暮らしていました。

 

5年ほど前から賀状も届かず、電話も通じなくなり今は音信不通状態です。

 

 

 

 

 

 

 

年末に収穫した獅子柚子は、東日本大震災のことを忘れないようにと、震災直後に苗木を買って植えました。

 

柑橘の苗木は、実が生るようになる若木の間、私の菜園では防寒しないと寒さで痛みます。

 

柑橘の種類によって耐寒温度は違い、柚子系や八朔などは耐えられます。

 

グレープフルーツは、植えて3年目に防寒対策が遅れ、葉は枯れ葉になりダメージが大き過ぎて翌年に枯らしました。

 

 

 

 

 

日向夏は年末、実を凍傷から守るため、寒冷紗を二重に覆いました。

 

皮が霜焼けして、茶色に変色してしまいます。




年末に4歳くらいのクサガメを見つけ、柿の木の下に葬りました。


暖かな日に地上に出たのか、カラスに見つかり手足だけでなく頭も食べられていました。


私が菜園で生まれた子亀を保護するのも、素早く逃げられるまで、小さな命を守ってあげたいと思うからです。


もう歳をとって、失われる命の画像を観るだけでも悲しくて、震災画像も観るに耐えられそうにありません。


せめて、大惨事の被害が少ないことを祈るばかりです。