日本が他のどの国よりも悠久の歴史を持っていることに誇りを持っている日本人は多いと思います。
自分もその一人です。
日本に生まれて誇らしいと思えるのです。
日本が悠久の歴史を持つということは、言い換えれば遥か昔の古代から、現代まで『日本』という国が断裂なく続いているということになります。
それでは『日本という国』とは何でしょう?
大和民族、皇室、日本語、日本独特の文化や伝統、神道、神社、古事記・日本書紀、日本人の民族性・・・等など、挙げていくと切りがありません。
なかには、『皇室が存在し続けることが日本という国が存在していることだ。』と主張する方もいます。しかしこの主張には疑問を抱きます。
例えばの話。
他国の軍隊が日本を軍事占領したとします。
占領軍は、政権を奪いとりやりたい放題します。日本語を廃止し、神社は全て焼き払われ、抵抗する日本人は殺戮されます。しかし皇室は存続させました。
こんな状態でも、皇室は存続しているので『日本という国』は存続しているといえるのでしょうか?
確かに皇室がなくなってしまっては『日本という国』はなくなります。しかし、ただ皇室が存続していればそれで『日本』と言えるのか?というと、そうではない事は上記の例え話で分かると思います。
実はこんな迂遠な話をしなくとも『日本という国』というものは、明確に定義されています。
それは帝国憲法第一条です。
大日本帝国憲法
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
帝国憲法では、大日本帝国となっていますが、日本と同義です。つまり
『日本は万世一系の天皇がこれを統治する』つまり
『天皇が統治する国が日本である』とも言えるのです。
ですから、皇室がなくなってしまっては天皇陛下が統治することができない訳ですから、日本ではなくなる。ということになります。
ここで大切なのは、『天皇陛下が統治する』という点です。ただ皇室が存在していればいいということではないのです。
この帝国憲法第一条の草案では
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇ガ治ス所ナリ
とありました。
『治す(しらす)とは統治のことに他ならぬ』と帝国憲法義解にあるように、日本で言う統治というものはシラスと言う統治態勢を指します。
シラスとは古事記に出てくる古い言葉で、対義語にウシハクという言葉があります。
ウシハクとは私有する・専制するという意味でシラスとは民の心を知って国を治めるという意味になります。
古事記の国譲りの場面では
汝なが領うしはける葦原の中つ国は、我御子之知らさむ国と
とあります。
「国つ神がウシハク(私有している)この国は、本来は天照大御神の御子がシラス(民の心を知って治める)国ですぞ!」
と言っているのです。
そして大日本帝国憲法第一条はこの古事記の場面の『シラス』がもとになって成り立っています。
つまり、天皇が日本をシラス(統治す)というのは何も明治憲法で初めて定めたことではなく、神話が煙る遥か古代から現代まで続く日本の統治態勢なのです。
繰り返しになりますが、建国の時より天皇陛下がシラス国だから、現代においても日本なのです。
そして法律的表現をすれば、「天皇陛下が統治大権を総覧する。」となり帝国憲法には次のようにあります。
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
元首というのは、対外的(外国に対して)に代表という意味です。
ここで重要なのは、「天皇陛下が統治大権を総覧する。」ということです。
総覧するとは「手にとって治めること。統合して掌握する。」という意味で、決して専有することではありません。
しかも後半で「憲法の条規によってこれを行う」とあるので、帝国憲法は天皇の専制政治又は、天皇主権を完全に否定しています。
天皇陛下が統治大権を総覧するその正統性は、祭祀大権を源泉としていますが、詳しくは『國體論と主権論』 をご覧下さい。
整理すると、帝国憲法では
第一条で『日本という国は古来より天皇陛下がシラス(統治す)国』であるということを明らかにして。
第四条で、天皇陛下は統治大権を総覧する。と表現して天皇専制・天皇主権を否定する。
という構成になっています。
この
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇ガ治ス所ナリ
という歴史的事実が『日本という国』が古来から現代まで続いていることを現し、その悠久の歴史に日本人はもちろん世界の人々もが敬意を評しているのです。
先人たちがそうしてきたように、自分たちも日本の子供らに、この悠久の歴史をもつ日本を手渡ししなければなりません。
ところが日本国憲法にはこうあります。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
主権は国民にあり、その国民の総意によって天皇の皇位は保たれている。
と。
まず第一に国民主権という概念は天皇の総覧する統治大権を明確に否定しています。
主権とは、その国で唯一絶対の力なので統治大権と両立することはありません。
第二に、国民の総意によって皇位が保たれているということは、いつでも皇位を剥奪できる力が国民にあることを意味します。
つまりこの日本国憲法第一条は、国民が主人であり、天皇が家来であることを示しています。
もちろんそこに悠久の歴史を誇れる要素は微塵もありません。
こんなものを後生大事にすることが悠久の歴史を誇る日本のためになるのでしょうか?
天皇陛下の統治大権は祭祀大権によって正統性が与えられるもので、憲法によって与えられたり(帝国憲法)、憲法によって剥奪されたり(日本国憲法)するものではありません。
故にこの国が日本であるということは、現代においてもこの国は
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇ガ治ス所ナリ
が継続しているということになります。
例え何年も使っていようが国民が主人で皇室が家来などという、日本の歴史上に全く関係ない概念である日本国憲法よりも、悠久の歴史の方に重みがあるのは明確です。
『何年も使っているので日本国憲法は有効』という主張は、悠久の歴史をかなぐり捨てることを意味します。
確かに、日本国憲法を何年も使って来たことは事実です。
しかし悠久の歴史を頂く日本人として、日本が古来より積み上げて来た長い歴史と比べたとき、占領後のたった数十年にどれほどの重みがあるというのでしょうか?
どちらの方が本当に大切なのでしょうか?
今一度、冷静に考えてみませんか?
日本人は義に堅い民族と言われます。
義とは「正しい路」という意味です。
正しい路を選び、子供らに悠久の歴史を持つこの国を伝えようではありませんか!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
興味ある方は是非ともお読み下さい(^o^)↓
https://ameblo.jp/yamato0shiki/entry-12620950405.html