日本国憲法は憲法として無効ですが、講和条約としては有効です。
このように書くと、
『日本国憲法は憲法じゃなくて講和条約なの?』とか
『講和条約ってサンフランシスコ講和条約だけじゃないの?』
と疑問に思う方もいるかもしれません。
日本はポツダム宣言を受諾したあと占領期に突入し、サンフランシスコ講和条約を締結した後に独立しました。この一連の行為は一環して帝国憲法第13条の講和大権の行使によるものです。
ポツダム宣言はいわば「独立喪失条約」です。これは非独立という長いトンネルの入り口とも言えます。
そのあとは占領期なので非独立状態です。トンネルの真ん中ってことですね。
サンフランシスコ講和条約は「独立回復条約」と言えます。これは非独立トンネルの出口になります。
そして講和条約とはサンフランシスコ講和条約だけを指すのではありません。
講和条約とはポツダム宣言を含め、占領期に行われたGHQの命令・指示・示唆を実行すること全てを指します。非独立トンネルから出るまでの一切の行為です。講和条約とは、講和の為の条件全てを指すのです。
GHQ占領の二本柱は東京裁判と日本国憲法です。この2つを日本が受諾することが講和の為の条件となるので、東京裁判も日本国憲法も講和大権のもとに受諾したと言えます。そしてこの2つは講話の為の中間条約として位置づけられます。
決して「東京裁判は講和条約だけど、日本国憲法は講和条約ではない。」などというようなことはあり得ません。
それでも疑問が残る方もいると思います。
本当に日本国憲法は講和条約なのでしょうか?
その理由を13項目に分けて以下に説明していきます。
1 GHQ草案は『申込文書』であり、日本国憲法制定が『承諾文書』である。
GHQは、マッカーサーノートを元にたった2週間で書いたGHQ草案を日本政府に手交し、そのあと細部の条項についてGHQからの指示、交渉を受けて日本国憲法が出来上がった歴史的事実からみて、申込と承諾が成り立ちます。
契約は1つの『合意文書』を必ずしも必要としないため、GHQ草案という『申込文書』と日本国憲法という『承諾文書』があれば契約は成立し、立派な講和条約と言えます。
2 極東委員会の決定
占領政策の最高決定機関である極東委員会が『極東委員会は日本国憲法草案に対する最終的な審査権を持っていること』を昭和21年3月に決定しました。
この事実は日本国憲法が国内法ではなく、連合国との講和条約であることを明確に物語っています。
3 終戦連絡事務局の存在
GHQからの命令や連絡を受ける日本政府側の窓口が『終戦連絡事務局』です。
この機構は、日本国憲法の施行の前後において全く変わることなく存在していました。
つまり日本国憲法の制定、施行とは全く無関係に独立に至るまで一貫した講和交渉の窓口が行われていたことになります。
冒頭に説明したようにポツダム宣言を受諾し非独立トンネルに入り、サンフランシスコ講和条約締結でトンネルの出口に出るまで、日本国憲法制定を含め、全てが講和をするための条件なのです。
つまり終戦連絡事務局の存在によって日本国憲法制定は日本が講和独立するための条件の一つ、つまり講和条約(条項)だと言えるです。
4 吉田茂氏の回想
当初から外務大臣、内閣総理大臣として日本国憲法の制定に深く関与してきた吉田氏は
『改正草案ができるまでの過程をみると、我が方にとっては実際上、外国との条約締結の交渉と相似たものがあった。というよりむしろ、条約交渉の場合よりも一層「渉外的」ですらあったとも言えよう』と回想しています。
交渉当事者の認識としても「外国との条約締結の交渉」としての実態があったということです。
5 大学教授の証言
京都大学教授の上山春平氏や、元早稲田大学法学部教授の有倉遼吉氏は、『あの憲法は、一種の国際条約だと思います。』と証言しています。
6 吉田茂氏による枢密院審議への説明
吉田氏は枢密院への説明で、
『GHQとはGo Home Quicklyの略語だという人もいる。GHQに早く帰ってもらうためにも、一刻も早く憲法を成立させたい』と発言しています。憲法改正が講和の条件であると枢密院に説明し、枢密院は講和独立のためという動機と目的のために帝国憲法改正を諮詢したことになり、講和条約の承認としての実態があったのです。
7 マッカーサーへの感謝への書簡
吉田茂氏は、日本国憲法が「新日本建設の礎」となるとして、それを与えてくれたマッカーサーに感謝の書簡を送っています。
「与えてくれた」という表現こそまさに講和条約を受け入れたということであり、独自の憲法であればマッカーサーに与えてくれたと感謝する必要はないのです。
8 「英文官報」の存在
占領期を通して「英文官報」というものが発刊されていました。
これは外務省の終戦連絡事務局と法制局との協議によって作成しGHQの承認を得て掲載されるものです。
日本国憲法については特に厳密にGHQの承認を得て日本国憲法の英語文を作成され掲載されました。この行為は外交交渉そのものです。しかもこれは公文書扱いとされています。
そして現代においてもいくつかの六法全書に英文の日本国憲法が掲載されています。これは単なる任意の英語文ではなく「英文 日本国憲法」が規範的効力を有する公文書(外交の記録)と言うことを物語っているのです。
9 サンフランシスコ講和条約の第1条
サンフランシスコ講和条約第1条にはこうあります。
『第一条
(a) 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。』
この条約の効力が発生するのは昭和27年4月28日です。
それまでは、連合国と日本は戦争状態であり、日本には対内的にしろ対外的にしろ『主権』は存在しないことをこの第1条が宣言しています。
そうなると日本国憲法の前文に『ーーここに主権が国民にざいすることを宣言し、・・・』とあるのは明らかな虚偽ということになります。
サンフランシスコ講和条約第1条に基づいて、正確に明記するならば『ーー主権の在する連合国最高司令官は、・・・主権が将来において国民に移譲されることを宣言し、この憲法を制定する』となります。主権移譲とは平成十六年六月にイラク暫定占領当局がイラク暫定政府に行ったようなことです。
これは戦争で勝利した実力(暴力)こそが唯一正当な権力(主権)であり、戦勝国の意に反しない敗戦国の国民にその主権を移譲することができると信奉している『暴力至上主義』の主権論に基づくものです。日本国憲法もイラク憲法も、まさに占領軍から主権移譲を受けたことに正当性の根拠を見出す『暴力称賛憲法』なのです。
話はそれましたが、ワシントン講和条約の第1条から導き出される結論は日本国憲法は連合国との外交交渉そのものだと言うことです。
10 サンフランシスコ講和条約の第19条(d)と国連憲章第107条
サンフランシスコ講和条約第19条
(d) 日本国は、占領期間中に占領当局の指令に基づいて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の法律によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、連合国民をこの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動もとらないものとする。
国連憲章第107条
この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。
上記の条約で重要な点は、『連合国が日本に日本国憲法を強要したことは免責(罪にとわれない)される』が、『日本には日本国憲法の効力を維持させることを承認させる』という2点にあります。
国連憲章はポツダム宣言を受諾する前に作成した『敵国条項』で現在も存在しています。
このように国際憲章とサンフランシスコ講和条約によって、日本国憲法を改廃することを禁止する命令を、日本が受諾したという状況をみると、日本国憲法は独立国の憲法ではなく実質的には連合国との講和条約であることが客観的に明らかです。
11 日本国憲法前文
日本国憲法前文の最後はこのように締めくくられています。
『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』
この『誓う』と言うのは誰に誓っているのでしょうか?
主権が国民にあるのならば、その上位に存在する者はいないはずです。
不可解です。
誓うといえば普通、神に誓うものですが、この場合に誓う対象は連合国となります。
将来独立したときに主権移譲してもらう主権移譲者である連合国に誓うという意味です。
この『誓う』と言う言葉こそ日本国憲法が講和条約の実体だということを表しています。
つまり帝国憲法から『主権委譲』(国内的主権移譲)されたのではなく、連合国から『主権移譲』(国際的主権移譲)されたことを宣言しているのです。
このことは、帝国憲法と日本国憲法の法的連続性について完全に否定していることにもなります。
12 日本国憲法第九条 第二項後段
悪評高い日本国憲法第九条ですが第二項にこのような言葉が出てきます。
『国の交戦権はこれを認めない』
これは誰が誰に対して認めないと言っているのでしょうか?
普通に解釈すれば『連合国は日本の交戦権を認めない』という意味となり、完全に講和条件を意味しています。
もし本当に日本政府が日本国憲法を作ったのならば、『国の交戦権は、これを放棄する』となっているはずです。
13 日本国憲法第98条
日本国憲法第98条は、驚くことに日本国憲法が条約であることを自ら暴露してしまっています。
以下条文です。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
大切なところは、一項には「条約」は含まれず、わざわざ二項を設けて「条約」を規定している点です。
「条約」は法律でも命令でもなく、詔勅でも国務に関するその他の行為でもないとされます。
日本国憲法は法律と条約を明確に区分されていて、一緒に表現するときは「法令」と表現されています。
となると、一項では明確に「条約」は除外されています。つまり、日本国憲法に違反する法令のうち「条約」だけは特別に有効だという意味です。
さらに第二項では、「この憲法に反しない限り」などの文言もなく、「条約」と、「確立された国際法規」は無条件で遵守すること、と義務付けられています。
この「確立された国際法規」とは、言うまでもなくヤルタ・ポツダム体制を集約した、日本を敵国とした国連憲章の敵国条項を意味します。
このことにより、日本国憲法は条約や国際法規と同等(同位)か、あるいは条約等が日本国憲法よりも上位に位置し優先されるべきであることを認めています。(本来の憲法ならば憲法に定めた条約締結権で条約を締結するので、憲法の下位に条約が存在します。)
つまり日本国憲法は実質的に条約であることを自ら宣明してしまっているのです。
如何でしょうか?
こうやってみると日本国憲法は講和条約だという事がよく分かると思います。
少なくとも独立国の憲法ではないことは分かると思います。
『日本国憲法を70年以上も使って来たのだから憲法として有効だ』と主張する方もいますが、それはあり得ません。
日本人は『憲法ではない、講和条約を70年以上も使って来ただけ』なのです。そして講和条約は何年使おうと憲法にはならないのです。
占領憲法の正體 参照