今まで日本国憲法の内容についてはほとんど触れてはきませんでしたが、『昭和天皇の御名御璽があるから日本国憲法は有効』と主張する方があまりにも多いので、日本国憲法の上諭について考えてみます。



上諭

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。


はじめに『日本国民の総意に基づいて』についてです。

日本国憲法草案はGHQが書いたものです。そして帝国議会での討議は全てGHQの監視と支配下に置かれ随時GHQからの指示、指令を受けていました。

また、国内は厳しい言論統制が行われて日本国憲法草案をGHQが書いたことは国民は知り得ませんでした。知る権利が封殺されている状態での選挙は選挙とは言えず、しかも立候補者の公約として憲法に関連したのは15%にも満たないのですから、『国民の総意』とはお世辞にも言えません。



次に『枢密顧問の諮詢』についてです。

歴史を調べればすぐに分かりますが、天皇陛下は枢密院に対して諮詢をしていません。『帝国憲法義解』 にも書いたように君主が大権を行使する際に慎重を期すため事前に諮詢をするのが通例です。

それでは、何故諮詢が行われなかったのでしょうか?

答えは明白です。

それは、昭和天皇が帝国憲法の改正発議大権を行使されていないからです。大権を行使しないのならば諮詢の必要はありません。

そして『枢密院への諮詢』なしに勝手に枢密院で審議してもその議決は無効と帝国憲法義解にはっきりと書いてあります。



次に『帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た』についてです。

詳しくは『帝国憲法第73条違反により無効』 にも書きましたが、今一度帝国憲法第73条を確認します。


第73条

将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス


前記したように天皇陛下は帝国憲法の改正発議大権を行使されていません。故に枢密院に諮詢をしていませんので天皇陛下が帝国議会に付すべき議案は存在していないのです。では実際に日本国憲法制定時には、どのような事が行われたのでしょうか?

本来天皇陛下が勅命を以て議会に付する議案を、『GHQが天皇陛下の在位を脅してマッカーサー草案を押しつけた。』というのが史実です。それをもとに議会で討議しているので完全に第73条違反です。


さらに、帝国議会には議案を修正する権限が与えられていません。

議案に対して否決するか可決するかのどちらかです。衆議院と貴族院で修正を行った事実は、この条項に違反しているばかりでなく、天皇陛下の一身専属権である憲法改正大権を侵害する反逆行為です。

よって事実に沿って表記するならば『帝国憲法第73条によった議決は得ていない。』というふうになります。


また、上諭では触れられていませんが、もし仮に第73条の手続き通り改正が行われていても、帝国憲法第75条の改正禁止条項に抵触していないかどうかは厳密に検証する必要があります。

『帝国憲法義解』 に記述したように第75条は『天皇陛下の外、何人も改正の発議大権を行使できない』事を意味しています。

摂政が置かれていないからOKとかそういうことではないのです。占領軍による占領中という国の変局時には憲法改正は出来ないのです。

例え第73条に則って改正が行われたとしても、この第75条に違反していればその時点で無効なのです。



ともあれ、日本国憲法公布の際の上諭の内容は事実とは異なるモノです。

明治の時代、帝国憲法や教育勅語を公布する際に伊藤博文や井上毅が『天皇陛下のお名前で公布する以上、間違いがあってはならない』と、検証に検証を重ねたことと比べるとこの上諭は異質です。


天皇陛下にこのように事実と異なる内容を公布させたことは、実に悲しむべきことですが、占領軍に占領され国民と国土を人質に取られては仕方のないことだったのでしょう。

独立するためにはこれしかなかったのでしょう。

昭和天皇も全てを承知の上で日本を独立させるために、日本国憲法公布を行ったのだと思います。


そんな大御心を推察することなく『御名御璽があるから日本国憲法は有効だ!』などというのは尊皇心の欠片もない短絡的でGHQ側に寄った主張だと思うのです。