人権というものは、そもそも外国から入ってきた概念で日本古来のものではない

しかしそれでも近代国家となるために帝国憲法には『臣民の権利』として憲法と明記されたが、現代においてもやはり日本人の感覚にそぐわない。

では日本人には、『万人が同じように有するもの』という感覚はないのだろうか?
そんなことはない。
日本人には『御霊(みたま)』という概念を古代から現代に至るまで持ち続けている。

我が人権に疑問を持つのは、事件の時に加害者の人権は守られて名前や顔は伏せられるのに、被害者の名前と顔は公表されることだ。
つまり人権とは、生きている人間にだけあるもので、死んでしまったら人権も何もないという考えだという点だ。

それに対して『御霊』という概念は、生きている者にも亡くなった者にも等しく有するという概念。
それどころか、生きている者より亡くなった者の御霊の方が丁重に接している風習さえある。

我はこの日本人の概念の原水は皇室にあると思う。
天皇陛下が即位して初めて行う大嘗祭(だいじょうさい)の中で瓊瓊杵尊の御霊を体内に宿す真床追衾(まどこおうふすま)という儀式がある。天皇陛下が正式に日本の君主となられるのは、この大嘗祭を経た後となる。

また、被災地や戦地に行かれたとき天皇皇后両陛下は、1番初めに犠牲者の『御霊』にお祈りされる。
天皇陛下だけでなく国民もお盆やお正月は御先祖様の御霊をお招きして、家族親族で集まり死んでしまった人も含めて皆で楽しむ。

このように見たとき。
死んでしまったらなくなってしまう『人権』よりも生きている者も死んでしまった者も共に同じであるという『御霊』のほうが奥ゆかしく貴重な概念だと感じる。

そしてこの概念は学校で教えるものではなく、家庭で育まれてきたからこそ、日本人の文化になっているのだと思う。