はい、ということ事でかなり時間が空きましたが…笑





僕がキックボクシングを始めたきっかけは、K-1 WORLD MAX 初代日本王者決定トーナメントをテレビで観た時のことでした。




それまで僕は小学生の頃から色々な習い事を習わせてもらっていて
(本当に両親に感謝しています。)




少林寺拳法、ピアノ、水泳、そろばん、野球、サッカー



どれも中途半端でした。





父には




「お前はいつも中途半端だ! カッコいいグローブやバット、道具を手に入れて満足するだけして頑張らない」




と…






中学生では野球部に入りました。




でも父はそう言いながらも、時間がある時はバッティングセンターに連れて行ってくれたり、バッティング練習に付き合ってくれていました。




今考えると本当に有難い。







で、野球部ではなかなかレギュラーになれず





試合に出ても変えられたり




仮に出れて活躍しても試合に負けたり




自分は活躍せずに勝ったり





チームプレーの良さ が自分にとっては逆に嫌な部分となってしまっていた。




まぁレギュラーになれなかった理由はただ単に自分が下手くそだったから!




今思うと当時、自分の中では朝夕の練習、土日の練習もサボらず行って「頑張っている」つもりで勘違いしていたなぁと…




ただ行くだけなんて努力なんかじゃなくて、全く違うものなのに…






そんか中学の野球部が終わった3年生の頃、テレビで観たのが当時のK-1 MAXでした。






「個人競技でこんなに華やかな世界があるんだ…」




ほとんどの選手のバックボーンにキックボクシングと書いてある。




「この舞台に立ちたい…よし、キックをやろう!



個人競技なら頑張ったら勝てるわけだし!」




そんな軽ーい動機で思い、ネットで検索して家から電車一本で行ける大和ジムを見つけて門を叩いたのでした。




でもこの軽ーく思えたのも全ては両親の教え




「やりたい事は何でもやってみないさい。


結果は後からでいいからなんでも挑戦してみなさい」




これは僕も自分の子供へもそう育てたいと思っている。








で、今思うのは格闘技って個人競技では無いんですよね。




一人じゃあミットも出来ないしスパーも出来ないし、




自分が成長出来るのも、会長を始めとする仲間達がいるからこそ。




試合の時も一人じゃ戦えず、セコンドのチームと共に戦うわけで。






ちょっと脱線したけど、そんなきっかけでキックを始めました。




K-1に出る!


この思いを強く持って練習に行くのでした。




な事言いながらアマチュアの頃は2勝2敗。




かなりのナイーブハート、心の弱さがあだとなっていました。





でも人間ってきっかけで変化するんですね。




それも時間はかからない!




自分がそう思っと瞬間に変わる事ができる。





プロテストのスパーの時にリングに上がった時、




「あぁ、、これに受かったらもうプロなのか…」




そう思ったら何故かスイッチが入って、スパーで相手をボコボコにしてプロテスト合格。





そこからプロとしてスタートするわけですが、プロになってみてわかった事は




K-1へのルートなど全く無くその門は本当に狭い狭い、狭き門でした。





まずはチャンピオンにならなきゃ意味がない。




肘なしのK-1に出る為には肘ありのキックボクシングルールでチャンピオンになり、とにかく名前を売り有名にならなくてはその門に近づけられない。




「よし、じゃあ片っ端から獲れるベルトを巻いてやる!」



と意気込んでいました。




NJKFライト級王座



WMCインターコンチネンタル ライト級王座
(初めてのアメリカ遠征、アナハイムで巻いたベルト)


WBCムエタイ日本統一初代ライト級王座


の三冠王となりました。




そして2010年3月、アメリカでムエタイの生ける伝説。




いや、神様?




センチャイと対戦。





見事にカウンター取りにいったはずがカウンターにならずの左ハイで1RKO負け。




自慢の1つが初めて乗った救急車がこのアメリカの時です。
(どうでもいい〜)




そんなセンチャイとは今ではYOKKAO FIGHT TEAMというYOKKAOチームの仲間です。




ちなみにYOKKAOはタイのめちゃカッコいいムエタイブランドです






で、そのギッシギシ揺れる救急車に揺られながら、ふと想いにふけるのでした。




「あれがムエタイの世界トップか…



よし、絶対にムエタイで世界を獲ってやる。


あの壁を必ず越えてやる…」



と。





しかし人生は面白い!!




なんとその1ヶ月後にまさかのK-1のオファーが入ったのです!!!!






当時何もルートのなかった僕は、佐藤嘉洋さんの紹介で同じマネージメント会社に所属をする事になり、




K-1ファイターとしての道がスタートしたのでした。





K-1初戦の時、控え室でモニターを観ながら思ったのは





「テレビ観たK-1と一緒だ…


本当にあのK-1の舞台に立てるなんて…」



と、感慨深かったのを覚えている。





でも!




でも、今思うと、全てはわかっていた氣がする。




そうなる事も、こうなる事も。



全て引き寄せてきたわけだから。






そして旧K-1消滅から、ムエタイに戻り世界を獲った後に、2017年から新生K-1参戦。




1度は失敗したが、2度目チャンスが来た。






実はWBCムエタイの世界も一度目は失敗して…












2度目の挑戦で獲った。









11月3日。







そして初戦は初代王者ゲーオ・ウィラサクレック。



いきなりゲーオ選手と戦えるなんて最高じゃないか。







全ては引き寄せた。



全て自分の思い通り。


 
全て上手くいく。




チャンピオンまでのサクセスストーリー、自分が楽しんでます^ ^