インスタを見てもらってからブログを見てもらうと繋がりがわかるかもしれませんので宜しくお願いします(^^)




2015年9月27日


僕は悲願で獲得したWBCムエタイ世界タイトル戦の防衛戦に負けた。



1Rに右クロスをもらいダウン。



2〜4Rの記憶は全くなく、5R始まる前のインターバルに正気に戻ったなあの時は。




試合後の集まり。

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ここからと言うもの、本当に落ち込んで落ち込んで、毎日笑顔なんか自分から作れなかった。




その毎日の中でも僕に笑顔を与えてくれたのはいつも応援してくださる仲間達、

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そして何よりも家族だ。

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僕の心がまた前向きになったのはこうやって仲間や家族の支えが大きくあった。




でもその前に、



「生きてればなんとでもなるよ」



とメッセージをもらう出来事があった。





先日誕生日を迎えた長男がまだ産まれる前だったので、総合病院の産婦人科に診察へ行った時の話。




僕は目に青タンのある状態だからサングラスを付けて病院に付き添った。




病院を歩いていると見覚えある顔のおばさんに出会った。




それは僕の実家の近所に住んでいた方でした。





おばさん!哲也です!


僕はサングラスを外し、大きな声で挨拶した。




まだ僕が実家にいた頃、おばさんのところには僕の1つ上の女の子、僕の2,3つ下の男の子(しょー君)がいた。




その男の子とは家が近所だし仲が良くて、よくキャッチボールをしたりしょっちゅう遊んでいた。



僕が高校に入りキックボクシングでプロデビューしていた頃、




その子は



「将来、僕もてっちゃんみたいなボクサーになりたい!」


とよく言ってくれていました。




突然の出来事でした。



その男の子は謎の突然死で、息を引き取ってしまった。




本当にショックで信じられなかったな。




高校から全速力で自転車を漕いで家に帰ってその子の家に行ったことを思い出す。




それから数年、僕は実家も出てなかなかご近所さんに会うこともほぼなかった中で、




まさかの病院でそのおばさんに会った時に、




本当に、全身に電氣が走るようにビビッと来た。




「てっちゃん、生きてればなんだって出来るよ。」



と、それは確実にしょー君からのメッセージだった。




僕はWBCタイトルを取られ、途方にくれる生活をしていたなかで、そのメッセージを受け取った。




その日から僕は自分と向き合い、また一歩一歩歩き出した。




きっと今の僕のことも見てくれているんだろう。





日々生活する中で人からなのか、本からなのか、テレビからなのか、そうやって何か氣付きからのメッセージなのか、



そういったものはこの世に溢れている。




それに対し自分がキャッチ出来るのかどうか、それは視野を広げることでもあり、




合氣道の理念でもある、調和なのかもしれない。





このことを思い出して、今日はさらに感謝の気持ちを持って生けそうです。





今日も張り切っていきましょう!