2005年3月12日、プロテスト当日。
プロテストには前にも紹介した森さん、
当時一緒に練習していたNさんと僕の3人で受けに行きました。
コーチが車を出して下さり、4人で東京へ向かいました。
NJKFのプロテストは、筆記試験と1Rのスパーリング。
1Rの中に最初の1分はパンチのみ、残りの2分は蹴りを入れて、という形でのスパーリング。
場所はNJKF加盟ジムのOGUNIジムでありました。
筆記試験は必死にルールブックを読んでいたので問題なく。
とは言ってもそんなに難しくありませんでした。
本当に簡単なもので。
逆に、あんなに必死になったのに…と思うほどでした。笑
さて肝心なスパーリング。
試合ではないから、倒せばいいという訳じゃないから、お互いに持っている技術を出しあうように!
と説明がありました。
で、このスパーリングの時に何か自分にスイッチが入った…。
これ、受かったらプロなんだよな…
よーし!
ってな具合に。
スパーリングは蓋を開いてみれば、
パンチのスパーから圧倒して、蹴りありになってすぐに相手を倒してしまいました。
スパーリングは3分もやらずに終了しました。
この時の感覚、
倒すつもりじゃなかったのに身体が勝手に…
といった感じで、今までになかった自分が出てきた感覚でした。
そして後日、プロテストの合格通知が!!
めっちゃ嬉しかったなぁ。
本当に嬉しかった。
無事に3人とも合格。
森さんは仕事の都合上、試合は出来ずに今は熱血コーチ。
Nさんはそれから少し経ってからジムを辞めて、今は家業を頑張っているみたいです。
一緒にプロテストを受けた3人は、それぞれ自分の道に向かって行くのでした。
選手登録の紙を記入する際に会長に、
リングネームはないのか?
と言われ、
いや、特にないですね…
と僕が言うと、
なら「大和」の看板つけさせてやるから頑張れよ!
と言って下さいました。
これが「大和哲也」誕生の瞬間でございます。
「大和哲也」
初めはなんだかこっぱずかしく、いいのかなぁ何て思っていたリングネームが、
戦績を重ねるうちに愛着が湧き、今ではすごくしっくりしています。
きっと「大和哲也」になるべくしてなって今があるのでしょう。
そして「大和哲也」のデビューは、プロテストから4ヶ月後の7月。
デビュー戦は急に決まりました。
試合の二週間前、
連盟から怪我で出れなくなった選手がいるから代わりに出てほしい
との連絡が。
やるか?
やらないか?
その場で答えを出さなくてはいけなかった。
期待や恐怖など色々な思いが、短時間の間に頭を駆け巡った。
しかし出した答えはもちろん、
やります!
でした。
そうやって急遽、デビュー戦が決まったのでした。
僕がプロデビューを飾ったリング、
それはRISEのリングでした。
続くー!!
プロテストには前にも紹介した森さん、
当時一緒に練習していたNさんと僕の3人で受けに行きました。
コーチが車を出して下さり、4人で東京へ向かいました。
NJKFのプロテストは、筆記試験と1Rのスパーリング。
1Rの中に最初の1分はパンチのみ、残りの2分は蹴りを入れて、という形でのスパーリング。
場所はNJKF加盟ジムのOGUNIジムでありました。
筆記試験は必死にルールブックを読んでいたので問題なく。
とは言ってもそんなに難しくありませんでした。
本当に簡単なもので。
逆に、あんなに必死になったのに…と思うほどでした。笑
さて肝心なスパーリング。
試合ではないから、倒せばいいという訳じゃないから、お互いに持っている技術を出しあうように!
と説明がありました。
で、このスパーリングの時に何か自分にスイッチが入った…。
これ、受かったらプロなんだよな…
よーし!
ってな具合に。
スパーリングは蓋を開いてみれば、
パンチのスパーから圧倒して、蹴りありになってすぐに相手を倒してしまいました。
スパーリングは3分もやらずに終了しました。
この時の感覚、
倒すつもりじゃなかったのに身体が勝手に…
といった感じで、今までになかった自分が出てきた感覚でした。
そして後日、プロテストの合格通知が!!
めっちゃ嬉しかったなぁ。
本当に嬉しかった。
無事に3人とも合格。
森さんは仕事の都合上、試合は出来ずに今は熱血コーチ。
Nさんはそれから少し経ってからジムを辞めて、今は家業を頑張っているみたいです。
一緒にプロテストを受けた3人は、それぞれ自分の道に向かって行くのでした。
選手登録の紙を記入する際に会長に、
リングネームはないのか?
と言われ、
いや、特にないですね…
と僕が言うと、
なら「大和」の看板つけさせてやるから頑張れよ!
と言って下さいました。
これが「大和哲也」誕生の瞬間でございます。
「大和哲也」
初めはなんだかこっぱずかしく、いいのかなぁ何て思っていたリングネームが、
戦績を重ねるうちに愛着が湧き、今ではすごくしっくりしています。
きっと「大和哲也」になるべくしてなって今があるのでしょう。
そして「大和哲也」のデビューは、プロテストから4ヶ月後の7月。
デビュー戦は急に決まりました。
試合の二週間前、
連盟から怪我で出れなくなった選手がいるから代わりに出てほしい
との連絡が。
やるか?
やらないか?
その場で答えを出さなくてはいけなかった。
期待や恐怖など色々な思いが、短時間の間に頭を駆け巡った。
しかし出した答えはもちろん、
やります!
でした。
そうやって急遽、デビュー戦が決まったのでした。
僕がプロデビューを飾ったリング、
それはRISEのリングでした。
続くー!!