キンドル本第三弾 「雷鳥の里」③ | 矢的竜のひこね発掘

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ご当地在住の作家が彦根の今昔を掘り起こします。

 市立図書館のリサイクル棚に出ていた「美人薄命」をもらって来た。推理小説のファンなのに深水黎一郎という方は存じ上げず、出版社が双葉社ならそれなりの書物であろうと思い、只なら戴いて帰ろう、という手前勝手な論理である。

 

 あまり期待はせず読み始めたが、なかなか面白かった。それに、まったく同感、と声をあげる文章があったのでご紹介したい。

いずれも会話の中の文章であることを付記しておきます。

 

 まず税金に関わるところでは、次のくだり。

 世のため人のために正しく使われるならば、国庫に入ることも意義のあることなのかも知れないが、ゼネコンが大儲けするだけの無意味な公共事業や、外郭団体に天下りしたキャリア官僚たちの法外な額の退職金、テレビに出て大金を稼いでいる芸能人の家族が何故か受給できてしまう生活保護費、あるいはただばらまくだけで感謝されない無償のODAなんかに化けるだけかも知れないわけだ。君はそれでもいいのかね?

 この文章は近々出版予定のキンドル本第三弾・「雷鳥の里」のメインテーマとぴったしリンクしている。

 

 第二は次の文章。

 この世には100%客観的な話というのは存在しません。語るという行為は、必然的に嘘や美化を内包しています。過去の歴史というものはその大部分が、その時その時の為政者が、自分に都合の良いように語らせ記述させたものに他なりません。

 これは私の根底にある歴史観そのものというしかない。

 

 第三の文章。

 小説を読む人は一頁目を開く前から……すでにある程度、タイトルなどから内容の予測をしてしまっているの。そしてその内容が自分の期待から大きく外れていないことを知ると、安心してその中に入って行くことができる。だけどその後それが自分の予想の範囲から、一歩も外に出ていないことを知ると、今度は逆に<紋切り型>と感じて不満になったりするわけだけどね。どうかしら?

 書き手にとっても、厳しい言葉が出て来ている。

 

 私のブログを御読みくださっている皆様には、「雷鳥の里」の内容を予測いただけるが、そうでない方にタイトルだけで内容を予測していただくのは難しい。そこで表紙が重要になる。

 

 

  自分としては工夫を凝らしたつもりだが、果たしてどうか? 大いに気になるが、これが精一杯と割り切るしかない。