観相学の権威 水野南北の
『南北相法極意修身録』要略玉条より
春日大社岡本彰夫権宮司が講演で
解説をされていた内容をご紹介します。
・長命の相あるとも、水を無用につかい費やすものは、
長命というべからず。
もし命あれば次第に貧す。なお、老年凶なり。
また、子に縁うすし。(略)
水は木を生じ、物を養うの本なり。その本損ずれば
生じ養うこと自ら薄し、これを以て自然と子なし。
⇒水を無駄に費やすやつは命が短いということ。
・諸具の類あらたなる内は大切に用いるといへども、
古くなるに随って粗末に用いるものは、
実というべからず。かならず誠なし。
その諸具の類日々これを召使うこと奴僕のごとし、
若き内は日々これを大切にもちいて、
老衰に至り、これを捨つるがごとし、これ実ならず。
土器のは、地を穿ってこれをうずめ、木物は火をもって土に帰す、
これ臣の終りを見届けること君の慈悲なり。
なお斯くの如く心得る人は相貌あしくとも、誠あるべし。
⇒従業員を若いときは使い倒して、足腰弱くなったら掘り出すなということ。
南北先生の説ではリストラなんてありえへん。
世話になったひとはみんな雇う。終身雇用です。
鍬(くわ)の柄が折れたとしたら、それは捨てるなということ。
鍬の柄は火で焼いて土に戻す。
お茶碗もそうです。このお茶碗のおかげで何十年も食べられたわけだからね、
粉々に砕いて土に戻します。
土というのはかならず自分が生きていく糧になるものを帰してくれます。
土の徳というのは正直で雄大で慈しみ深い。
伊勢神宮(外宮)には土宮さんという土の神様を祭ってあります。
春日祭でも神職は酒を4杯飲みますが、
はじめの1杯は土に帰すんです。
一番先に土の神様に捧げます。
・無用火をたき、或いは火を粗末にして踏み消すものままあり、
凡そ斯くのごとくの人は生涯立身出世なし。
諸事調わざることをつかさどる。
それ火は日なり、日輪を踏むが如し、なお天帝を足下にかけるがごとし。
⇒地面にタバコを捨てて火を消す人はダメ。
お天道さまも火、タバコの火も火。
天帝を足下(そっか)にかけるようなもの。
お日さまを踏んでいるのと同じことだと言っています。
ちゃんとしかるべきところで消しなさい、
それほどの心がけを持てと言うことです。
・それ男は陽にして妻は陰たり。
その妻、夫の陽に随がはざれば陰陽和合ならず。
陰陽和合ならざれば其の道熟すること能わず。
妻我に随がはざる内は其の道を弘むるとも
衆人我にふくすることなし。
又一人の妻だに我心に随がはざれば
天下の人皆我が道に随がはざるなり。
⇒嫁さんだけは隠すことができません。
夫がよだれを垂らして寝ているのを見てんねんもん。
そんな嫁さんから尊敬される人は一廉の人ですね。
これが至難の業やね(笑)。人類永遠の課題や。
計算したらダメ。
計算なくして一生懸命にしたことは天に通じるんです。
ところがおとぎ話には必ず邪(よこしま)な
じいさんとばあさんがおります。
計算してやったものはことごとく失敗するんです。
だから目に見えないものを大事することは無償の愛です。
計算が成り立たない。
どれだけ優秀な人間でも運が良くなければ出世しない。
我々は認められるために生きているんです。
おん祭の火の使いという重要な役は
関西財界の偉い人がきてくらはるねん。
その人と話したら良い勉強になります。
「私は運でなりました」と皆がいうんです。
これがまともに言える人はたいした人です。
「私は何の実力もありませんけれど、
めぐり合わせがよくて運でなりました。」
というんです。
これはその通りでもあります。
どれだけ実力があっても運がそろわなければ
出世しません。運は寝て待つことです。
目に見えない世界のご加護をいただかないと
運なんてものは巡ってこないんです。
これは計算が成り立たない世界。
一生懸命になって真心を捧げたら、かならず運はまわってきます。
(春日大社 岡本彰夫権宮司 講話より)
私がまとめさせていただいた内容は以上になります。
それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。