「カタカナの起源は朝鮮半島か?」というニュースについて | ドット模様のくつ底

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9月2日の
NHKニュースで

「カタカナの起源は朝鮮半島にあったか」という
話題が取り上げられていました。

朝の番組『おはよう日本』内での放送だったと思うのですが、
東大寺所蔵の『大方廣佛華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう)から
見つけ出された研究内容だったので気になり、
東大寺で資料を見せて頂きました。





NHK HP
ニュースの内容はリンク先にあります。

広島大学の小林芳規名誉教授と韓国の研究グループが
発表したことを取り上げています。
 
西暦740年ごろ、朝鮮半島の新羅で書かれたあと、
奈良時代に伝わったとされている
東大寺所蔵の重要文化財『大方廣佛華厳経』の
一つの巻物では、

墨で書かれた漢字の横に、
棒の先をとがらせた「角筆」という筆記具で
紙をくぼませて文字が書かれてあるということです。


それは、全編1100行余りにわたり360か所に
書き添えられていて、
 
これらは漢字を読み下すために使われたとみられ、
その横に添えられた文字は新羅の言語であるとか。
 
そこで調査にあたった先生方は、
「漢字を省略して作るカタカナの起源は
当時の朝鮮半島にあった可能性があるのではないか」と考えているそうです

 
カタカナは従来、平安時代に万葉仮名の一部ないし全部を用いて、
音を表す訓点・記号として生まれたと
一般には認識されてきただけに、驚きの発表ですよね。



また、このニュースは
朝鮮日報でも取り上げられています。


朝鮮日報 日本語版

 「『片仮名新羅由来説』を立証する新資料発見」

日本の学界の主流は現在、西暦800年以降に、
漢字の画数を一部省略して日本が独自に片仮名を作り出したと考えている。
しかし小林名誉教授は、NHKのインタビューで
「『大方広仏華厳経』の角筆文字は、片仮名との類似性を示している」
「漢字を省略して作る片仮名の起源が
当時の朝鮮半島にあった可能性が考えられる」と語った。

 小林名誉教授は2000年と2002年にも、
『判比量論』の筆写本などに記された角筆文字を研究し、
片仮名新羅起源説を発表した。
『判比量論』とは、671年に新羅僧・元暁が書いた本で、
70年前後の筆写本が現在日本で保管されている。

 小林名誉教授と共同研究を行っている
韓国技術教育大学のチョン・ジェヨン教授(国語学)は

「『判比量論』の筆写本にも角筆文字があるが、かなり状態が悪く、
これを否定する日本の学者は多かった。

今回の角筆文字は、比較的はっきりと残っており、
片仮名新羅由来説を立証する資料としてかなり価値がある」

「8世紀に新羅人が日本で『華厳経』を講義した際、
漢文を読むために漢字を簡略化して表記するスタイルの角筆文字を使い、
これが日本の文字発達史において重要な役割を果たした」と説明した。

 角筆文字は、日本で1961年に初めて発見された。
当時は日本にしかないと考えられていたが、
その後中国や韓国などでも角筆文字を記した古文書が相次いで見つかった。

(引用おわり)


wikipediaの「片仮名」のページには、
文献を上げてこう説明されています。

平成14年(2002年)、大谷大学所蔵の経典にある角筆の跡について、
これが表音を企図して漢字を省略したものであり、
片仮名的造字原理の先行例ではないかとする説が出された。
(『古代日本 文字のきた道』平川南編)


この角筆について小林芳規氏は、
8世紀に朝鮮半島で表音のための漢字の省略が行われており、
それが日本に渡来したのではないかとする説を発表。


犬飼隆氏はこの小林芳規の主張について、
表音を企図した漢字の省略が朝鮮半島で先行して実施されていた
可能性を認めながらも、なお検証を要するとした。

また平川南氏は経典の成立年代と訓読のための書き入れには
ずれがあることが充分想定できるため、
典籍の年代確定の難しさを指摘している。
(『古代日本 文字のきた道』平川南編)

さらに、2002年4月4日の朝鮮日報で
「根」字の脇に見られる「マリ」の如き角筆の痕跡が
「ブリ」の音を表すとした上で、
現代韓国語の「根(ブリ)」と一致するとの小林の主張は、
羅時代に「根」を「ブリ」と発音した可能性はないと
ソウル大学名誉教授の安秉禧(アン・ビョンヒ)氏、
韓国口訣学会会長の南豊鉉(ナム・プンヒョン)らによって
指摘されている。




私が読ませて頂いたものは、
東大寺図書館が発行している
『南都仏教』2008年度版に寄稿されたものです。

『南都仏教』は東大寺図書館にあります。


正倉院に伝わる経巻のうち、

聖語蔵大方公仏華厳経(自巻第七十二至巻第八十)が、
統一新羅時代に朝鮮半島で書写された本邦所在最古の
新羅写経であるということを、

山本信吉・元奈良国立博物館管長が、
平成十八年発行の『正倉院紀要 第二十八号』で発表され、

その論拠から、

もし、前掲の経巻に新羅語などが角筆で記入されていたら、
新羅写経とする山本信吉氏の説の有力な裏付けになるのではないかと
考えられ進められてきた研究のようです。
平成15年5月にはすでに調査されています。






角筆の文字

「叱」は日本語の助詞の「ノ」に当たる


ただし、

「これら不確定の文字を公にすることは
慎まなければならない。

しかし、資料の少ない新羅語」の
新資料となる可能性を考えるならば、
不確定の故に一切を葬ってしまうよりは、

関係研究者の追試となるためにも、
現段階で詠み得たところを示して、
訂正・修正を経ることが望ましいと考えた」


と『南都佛教』で小林氏が述べられている通り、

現段階はまだ立証できたと言えるまでではないけれども、
NHKに取り上げられたことで、
注目を集めた状態となっているようです。


論拠として挙げられているのは、
東大寺で保管されてきた新羅写経とみられるものです。
また、平川南氏の指摘するように、
経典の成立年代と訓読のための書き入れには
ずれがあることが充分想定できるため、
典籍の年代確定の難しいとも言えます。


韓国の資料でみると、
『三国遺事』(釋一然〈1206-1289〉)の著作された
十三世紀を五百年遡る八世紀の新羅の使用実例として、

所収された郷歌に含まれる「叱」の裏付けとなると
書かれてありました。

韓国の新羅研究にとってはこれが立証できれば、
歴史研究の一躍貢献ということになりましょうか。


まだ資料を読ませて頂いただけなので何とも言えないのですが、
興味深い研究だと思いました。


それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。