職業選択が自由な日本における「カースト」って何?? | ドット模様のくつ底

ドット模様のくつ底

奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

最近、少し気になる言葉がありまして、

私のひとりごと程度の内容ですが、
浅識なりに思うことを記しておこうと思います。


最近、『JJ』というファッション誌にも取り上げられていたようですが、
日本型の「カースト」なる言葉が流行っているようです。

「スクールカースト」「ママカースト」
などという言葉でもって、それらは語られています。

学生の間では、「スクールカースト」と呼ばれ、

生徒の間に、自然発生する
人気の度合いを表す序列のことをいうそうです。

上位層・中位層・下位層をそれぞれ「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと
表現して人を格付けします。

たとえば、恋愛経験豊富な人ほど上位とか、
ファッションセンスがいい人ほど上位とか、
部活運動系は上位、文化系は下位とか・・・

文化系ってオタクなイメージがあるのかなあ。。。

和田秀樹氏によると、
[コミュニケーション能力の有無に偏重したスクールカーストという
序列が発生した背景には、学業成績の相対評価を廃止するなど
生徒に対する序列付け自体を否定するような過剰な平等主義があり、
「学業成績」「運動能力」といった(努力で挽回可能な)特性による
アイデンティティを失った子供たちは「人気(コミュニケーション能力)」という
(努力で挽回不可能な)特性に依存した序列付けを発生させてしまったのだ]
と分析されています。

初出は2006年11月18日の衆議院「青少年問題に関する特別委員会」で
参考人となった本田由紀による紹介とのこと。



子育て世代の間では「ママカースト」なるものがあるそうです。
これもほんと?って思ってしまいます。
ママ友同士とかで、
夫の職業がどうだの、子どものポテンシャルがどうだの、
相手を格付けしてお付き合いするということなのでしょうか?

そんなこと、いちいち気にしても仕方ないのにねえ。。。

日本の場合、身分が法律では決まっているわけではないですよね。

かつての日本では、
「士農工商」などのように身分制度がある時代もありましたが、
現代では自由意思のもとで、そんな流行語があるだなんて!


インドのカーストになぞらえているだけであり、
まったく異質のものであるとはいえ、
流行ってほしくない言葉だと思ってしまいます。

インドは1950年に制定された憲法により、
カーストは全面禁止になっていて、
これ以降にできた職業ではカーストの影響はないと
言われています。(IT業界など)
しかし、5000年も続いた制度であるだけに、
いまだに差別は根強く残っているようです。。。

日本は身分が世襲ではないわけで・・・
とはいえ、世襲で受け継がれているのは、
そうなりやすい環境があるからであって、
それが絶対ではないはずです。

政治家の息子が政治家になるのは、
お父さんの職業に憧れていたり、地元有権者の期待などが
あるからでしょう。

お坊さんの息子がお寺を継ぐのだって、
環境からその選択肢が本人にとって自然な流れかもしれません。
他になりたい職業があれば、それに就くことだってできます。

世襲に対する批判はあるでしょうけれど、
これが直接的な格差につながっているわけではなく、
あくまで個人の自由な選択のもとにこうなっているわけで、
それを改革をすべきと望む人は、社会に訴えていくことの自由を
法律で守られていますよね。


親に経済力があろうとなかろうと幸せは得られるし、
自分の努力次第で望む職業に就くことができたり、
望む収入が得られたり、
職業選択の自由のもと、実るステージがあったりしますよね。

薬師寺の山田法胤管主(かんす)がよくお話されていたことですが、
超高級腕時計の社長秘書として世界を飛びまわっていた女性が、
出家し尼僧として仏門に入られたりもしています。


どのような親元に生まれたからといって、
どんな職業に就いたからといって、
自分でこうなりたいという人生のデザインができます。

障碍がある場合は・・・持っている能力の中で、
できるデザインがあると思います。

それで身分が決まるわけではないはずです。

人生のデザインすることが出来たとしても・・・
そのデザインが思い通りにいくとは限らないだけです。
自分の置かれた環境で、選んだ道で、
幸せを見つけていけたらそれでいいのだと思います。

人と比べてどうだとかいう「カースト」なる言葉は、
もうそろそろ終わりにして頂きたいですね。



それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。