「開発」 仏教用語からきたことば⑦ | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

「開発」

①(天然資源を)生活に役立つようにすること。
②実用化すること。
③知恵を開き導くこと。

広辞苑ではこのように書かれています。

この言葉ももとは仏教用語で

「かいほつ」と読み、

・如来を信じる心が起こること、
・真実の智慧が起こること
・仏性を開き発せしめること   

をいうのだそうです。



『WIRED』(ワイヤード)というサイトで、


先日、若くしてお亡くなりになった
ファイル共有ソフト「Winny」開発者で
プログラマーの金子勇(かねこいさむ)博士と、

インターネット寺院『彼岸寺』開祖でMBA取得
僧侶の松本紹圭(まつもとしょうけい)師の
対談が掲載されています。

(元記事は『エンジニアtype』という技術屋インタビューサイトです)

お二人ともそれぞれの所属業界で歴史に名を連ねそうな方です。

その対談のタイトルが
「開発とは本来、新たな気づきを得る行為である」

で、本題として、
「開発」について対談が進められます。

写真のキャプションには、

「開発」という行為の本質は、それまで自覚していなかったものが
自覚されるようになる、心の成長にある

と書かれてありました。

松本師によると、師の所属する浄土真宗では
「信心開発」という言葉があり、それはモノやサーヴィスではなく、
心を開発すること 
をいうそうで、

「開発」をわかりやすく言うなら、
「気づきを得る」ということではないでしょうか。
何か対象に一心に向き合い、それを自ら開いていくことで、
初めて手に入る気づきがある。
つまり、「開発」という行為の本質は、それまで自覚していなかったものが
自覚されるようになる、心の成長にあるのだと思います。
と述べられています。

それを受けて金子氏は、

「わが意を得たり」として、
わたしにとっての「開発」はプログラミングそのものを指すわけですが、
ポリシーとして「常に実験的なことを」と心がけてきた。
仕様書通りにプログラムを書いて終わり、なんて面白くないじゃないですか。


実験的なプログラミングを繰り返せば、挙動を分析するのも難しくなっていきますが、
どんなに複雑になってもちゃんと理屈があるものです。
この、説明がつかないものの理屈を見つけた瞬間が、たまらなく面白い。

と開発者らしいコメントをされていました。


松本師は、

東京のお寺に所属する僧ありながら、
インターネット寺院を運営し、京都に住んでいる、
いわば、「ノマド」的な働きをしています。

一般にイメージされる僧とは違うので、
そのことをどう人に説明したらよいかと考えたとき、

ご自身のことを「開発僧」という言葉で説明するのが、
しっくりくるとおっしゃっていました。

また、仏教の教えは、その時代、時代に現れた多くの僧侶によって
ヴァージョンアップされ、実践されてきたという意味で、
ある種のオープンソース・アプリケーションとも言えるとか・・・




イノベーションを起こすような人というのは、
既存の価値の壁を取り払って、
ゼロから新たな価値を創造していくことが
できる人なのだと、
記事を読んであらためて思いました。

イノベーションによって社会にもたらされた
新しい概念とともに、
人々が心身ともに豊かになっていけたなら・・・



金子氏の氏の早すぎる死を悼む声が
インターネットメディアを
中心に多数寄せられていますね。

まだまだこれから
新たな開発に期待が寄せられていた
天才プログラマーであっただけに、
社会に衝撃が走っているようです。

金子勇氏のご冥福をお祈り申し上げます。


皆様が健康で幸せに過ごせますように。