東大寺 「二月堂 服忌令」について | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

(過去記事です)

この時期に二月堂に参詣すると、

参詣の道筋に注連縄(しめなわ)が張り渡されていたり、
参籠衆の門口(かどぐち)に輪注連(わじめ)が掛かっていたりします。

ことに二月堂周辺では結界の注連が厳重になっています。

さらにいえば、
二月堂自体は、局(つぼね)と礼堂(らいどう)、
局と外陣(げじん)の境には格子戸、

外陣と内陣の境には桟唐戸(さんからど)と扉で仕切られていることで、
結界の役目を果たしています。

このような結界の厳しさは
物忌(ものいみ)の厳しさと重なるものがあるのです。

≪服忌令について≫

ぶっきりょうと詠みます。
江戸時代中期に定められたものです。

東大寺では通常でも穢れを忌む傾向が強く、
修二会の場合は、特に触穢(しょくえ)についての
禁忌(きんき)が厳しいそうです。

このため、服喪中(ぶくもちゅう)の人は
参籠の人選から外されるのはもちろんのこと、

二月堂周辺の結界の中に入ることも許されません。

その判断基準を定めたものが
「二月堂服忌令」です。

ここには服と忌に関する厳重な規程があり、
それに接触する場合は、

練行衆はもちろん、別火坊、参籠宿所、二月堂などの
結界の内に入ることも禁じられています。

「服」も「忌」も、ともに喪に服して慎むことですが、
忌は家にこもり、服は喪服を着る、
という慎みの度合いの違いがあるのだそうです。


たとえば、
父母・・・・・・忌五十日。服一年。

夫死ぬとき妻には・・・・・・忌三十日、服一年。

妻死ぬとき夫には・・・・・・忌二十、服九十日。

ごく一部ですがこのように書かれています。



ところが、修二会期間であっても・・・

最終日の結願の日(3月14日)の
練行衆の初夜上堂のあとには、

登廊(のぼりろう)の下の石段や食堂(じきどう)の西に
張り渡されていた結界の注連縄が外され、
参籠宿所の庭で焼き捨てられます。

時間でいうと午後7時30分を過ぎたころということですね。

これらの結界が外されることにより、
それまで聴聞の叶わなかった
喪中の人も修二会に参加できる決まりになっています。

結願の日の一夜に限り、皆さんで
十一面観音様にお祈りを捧げる時間を与えて下さるという
取り計らいは有り難いことですね。


それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。