知り過ぎないのも一つ | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

今日はヒトリゴト程度の内容です。


日本の歴史が記述されていくのが
記紀(古事記・日本書紀)の時代からですよね。

そこに記述されているとはいえ、
中身はその時の為政者の手によるものですので、
それなりにバイアスがかかっているわけで、
それを読み解いて歴史を知らなくてはならないことでもあります。

記紀以前の歴史となると
確証できるものがないだけに、

研究しないで歴史を学びたい人は

歴史家、考古学者の想像からの
物語りが加味されたよう歴史を
信じるかどうかになります。


そこにロマンあり、
といえばそうですけれども、

自分が信じたい方を信じるとか、

歴史的な史実はさておき、
賛否や論争を生みやすいことでもありますね。


熱く繰り広げられる論争の実態は

歴史の実証のためではなく、
派閥争いとか、名誉のためのような

何とも訝しげな展開を生むようなことであったりも。。

あまりの熱の入れように、捏造なんてする人だって出てきちゃう。

そこに自分の人生賭けちゃうものだから。

そのようなことはですね、
謎に包まれていることを紐解こうとするほど、
未来永劫、答えのない世界を漂うようなものなのかもしれない。

でも、これが楽しかったりするのですよね。

そのこと自体は、
歴史に興味関心が高い人達が
語り合って思いめぐらしていたらいいのだろうなと個人的には思っています。


そこで今回のタイトル

「知り過ぎないのも一つ」。

いろんなことを多角的に捉え、

真実により近づくために思考をフル稼働させて
歴史の真髄をあぶり出せる人ならともかく、

歴史は知り過ぎると面白くないと
感じる人は、

知り過ぎないのも一つかと。。



ただ
目の前に広がる歴史の遺構に
感動する時間があってもいいですね。



それでは今日も良い1日を!