『めざすは飛鳥の千年瓦』 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。





「瓦ぬ心で」・・・・・・。



法隆寺金堂、東大寺大仏殿、唐招提寺金堂、

松本城、姫路城など


多くの国宝・重要文化財の屋根の保存修理に

たずさわってこられた


奈良屈指の瓦職人である


山本清一(きよかず)さんのご著書


『めざすは飛鳥の千年瓦』


(山本清一著 草思社)


こちらを東大寺本坊からお借りしてきました。



内容は瓦葺き職人歴60年(平成18年当時)の

集大成とも言える一代記です。


各章の構成は


一章 奈良・生駒の屋根屋を継ぐ

二章 伝統瓦葺きの修業

三章 恩師・井上新太郎

四章 瓦職人の会社を設立 

五章 満足のいく瓦をもとめて瓦焼きに

六章 東大寺大仏殿の昭和の大修理

七章 日本の瓦考

八章 唐招提寺金堂の鴟尾の復元

九章 伝統技術の保存と継承


となっています。


関西弁の語り口調そのままのように

本文がまとめられているので、


お話を聴いているかのように読みやすいにもかかわらず、


内容は専門的であり、

第一級と言われる匠の腕の良さと研究心の強さが引き出された好著です。




日本に瓦が入ってくるのは

『日本書紀』によれば、


崇峻天皇元年の仏教伝来のとき、

はじめて本格寺院建築のために

僧、寺工(建築技術者)、画工、露盤博士とともに

4人の瓦博士が百済から教えにきたとされ、


これが瓦のはじまりで、飛鳥寺(法興寺)の建設がはじまったのだそうです。



瓦と屋根の名称などがわかるようになっています。


本瓦は基本的に平瓦と丸瓦で構成されていて、

平瓦を数えるときは、~枚、

丸瓦を数えるときは、~本と言うそうです。

「紙と鉛筆を数えるようなもんや」と書かれてありました。


屋根に上がって瓦を葺く仕事より、

その前の段取りが厳しいといいます。


仕事においては何事にも言えることですが、

下準備がきちんとしているかどうかで、

仕事がはかどるかどうかも決まりますね。


そして段取りのいい仕事は仕上がりも美しいそうです。


数々の国宝・重要文化財の保存修理にたずさわってこられた

山本氏の話ですので読み応えがあります。


はじめての文化財や国宝の仕事が

松本城の解体修理で、

建物を全部解体する大規模な修復工事だったそうです。



大きな国宝などの仕事は、大手ゼネコンがかかわってきたり、

作業の方法なども細かい指導が入るんですね。


松本城の修理の話ですが、元にあった瓦が時代ごとに幾種類かあり、

そこで大名が何代か、代わっていたことが分かるように

紋がそれぞれ違っていたりして、

時代の違う瓦を屋根に並べる場合は

親方に任せたそうですが、


古いものと新しいものは色合いが違うので、

交互にはせず、そろえて並べたりしたそうです。


私にはわからないことですが、

職人の眼にはご自身が屋根を見て

何時代の瓦がこれで、

どこの紋が入っているなどを判別できるんだろうなと思いました。


解体修理と聞くだけで元に戻さなければならないという

相当のプレッシャーの中での作業ではないかと思ってしまいます。


お城と同時に修理に着手されていたのは、

法隆寺の金堂でした。


これらを経験したのが20歳頃のことです。


その後、昭和32年の25歳の時に独立して

民家の瓦葺きもしながら、


唐招提寺宝蔵、姫路城天守閣、東大の赤門など

などの国宝や重要文化財の仕事もしていきます。


興味深かったのは、鴟尾の話です。

平成21年完成の唐招提寺の金堂の大修理では

鴟尾の復元にチームを組んで取り組まれたという話がありました。

東大寺大仏殿の昭和の大修理もご経験されましたが、

あの東大寺鐘楼の10分の1の模型を造られたことに驚きです。

瓦葺きの職人としてだけででなく、

いい瓦がなければいい瓦葺きにもならないというわけで

瓦焼きもされます。


学者と意見が食い違うこともしばしばあったという話もありました。

学者のいう通りに造るものと、現場を知る職人の見解に違いがあっても、

学者の言う通りになることもあるようですね。

「瓦づくりは人づくり 人づくりは国づくり」

と書かれていた通り、


文化財を後世にまで残していくためには、

まず人育てが大事と言われます。


継承者がいなくなれば、残らないわけですから、

文化を残すための継承者育成を

今後も続けて頂きたいと思いました。