大峯奥駈道 75靡 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

大峯奥駈道とは、約1300年前、
修験道の開祖である役行者によって
修験道の根本道場として開かれた道のことで、
山伏が大峯奥駈という修行をするための山岳ルートとなっています。

吉野から熊野にかけて紀伊半島を中心に吉野山と熊野三山を結び、
背骨のように貫いて存在しています。

(大峯山という固有の名称を持った山は、大峯奥駈道にはなく、

狭義には未だ女人禁制を堅持することで知られる

金峯山山上ヶ岳一帯を今日的に大峯山という。

金峯山寺・田中利典氏)


修行場は75か所あり、靡(なびき)と言われています。
それぞれに番号があり、75靡の行場を巡ります。

「熊野大社本宮の本宮証誠殿」を靡1番として
吉野山~吉野川河岸の「柳の宿」(やなぎのしゅく)を靡75番とします。


大峯奥駈道の行場、靡75番「柳の宿」(やなぎのしゅく)。

吉野川沿いの六田(むだ)にあります。
こちらから修行をはじめることを「逆峯」(ぎゃくふ)といいます。

靡1番の熊野本宮大社から大峯山に入峯する大峯奥駈修行を
「順峯」(じゅんぷ)といい、そのときはこちらが結願所となります


かつてはもっと靡の数が多かったそうですが、
整理されて今のような数となっています。


橋を渡ると役行者像が安置されています。



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 大峯奥駈道は、
平成16年(2004)に登録された日本で12番目となる世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する道の一つです。
そのことからも
歴史的価値の高い文化遺産として広く知られています。

(厳密にいうと、登録名では「参詣道」とされているものの、
大峯奥駈道は修行道であり、参詣道とは言われていません)


 山伏は5月3日の山上ヶ岳・大峯山寺の戸開けから、
9月23日の戸閉めまでの期間に修行されます。
山上ヶ岳は女人禁制の山です。
なので女性の修験者は大台ケ原へ行く道の河合というところから、
山上ヶ岳の少し南にある
靡65番の阿弥陀森(あみだがもり)まで、別ルートで行き、
修行に合流します。

 
山伏さんの服装 ①

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山伏さんの服装 ②
金峯山寺とホテル日航コラボ商品「くまぶしくん」

服装は
結袈裟(ゆいげさ)や鈴懸(すずかけ)をみると、
何宗で何宗派なのかがわかるそうです。

(私には見分けがつきません。。。)


少しだけですが大峯奥駈道についてご紹介しました。


それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。