子どもからみた大人の社会貢献活動 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

今日は社会貢献活動について


子どもはどう思っているかを考えてみたいと思う。




小学生くらいの子どもになると、


大人が社会貢献活動をしていることが


疑問になるという。




それは親がお金を稼いでいることを認識しはじめたことで、


起こってくる疑問なのだと思う。






親が生活のためにお金を稼いでいるから


自分がものを買ってもらったり、


毎日、何不自由なく生活ができているのだと


いうことに気づいた子どもの価値観では、




大人は何故お金にならないのに、


社会貢献活動をしているのだろうと


思うことは納得できる。




子どもの目線で考えてみる。




自分が保護者に守られている存在であるが故に、


自分が誰かのために何かをする前に、


人は自分のために何かをするものだろうと思う子が


多いのではないか。






そこで大人は子どもから

こういう疑問をもたれたときに


どう答えるのだろうか。






たとえば奈良町を走らせる人力車を


80万円で買った人がいる。






子どもたちの中で、




「おじちゃんはなんで、


自分が乗らへんのにそんなものを買ったの?」




と疑問を持った子がいたそうだ。




ここで商売のためならば、






「お金を稼ぐためだよ」






という答えになるけれど、


それだけではないものがあったりする。






そこには「人に伝えたい文化があるから」


という人の「思い」も含まれているのだ。






また、伝統行事となっている祭りの


大名行列に参加するのは


地域の人間だったりするのだけれど、






子どもからすると、


「おじちゃんたちはいくらもらって(祭りに)出ているの?」


と思うようだ。






これはどうやって参加するのかといえば、


会費を支払って参加するわけなので、




「おじちゃんたち、お金払って出てるねんで!」というと




子どもたちは「何で?」と


衝撃を受けるのだという。






ここで文化遺産学習やふるさと学習が生きていくるのかもしれない。






【何故、この人達は文化を継承するためや、


地域に根差したものを伝えるために、


社会貢献活動をしているのか】




という子どもたちの真っ白な疑問の答えを導くために


それを教えていかなければならないのかもしれないと思う一方で、




それは冷静になってみれば、


「大人になったらわかること」


と、すませていいのかもしれないとも思ったりする。






これからの時代を生きていく子供たちが




自分たちの親がお金を稼いでいることと、


社会貢献をしていることの




両方の価値をバランスよく理解できる人間に


育っていってほしいと願っている。






東日本大震災後、


被災地へ多くの人がボランティアとして現地へ赴き、


支援をしている。






金銭的な支援の仕方もあるけれど、


お金には代えられない「思い」が


行動へとつながったのだと思う。




ここで何を守りたいのか、助けたいのか、


人が人を助ける直接の支援の在り方を


学んだ人も多いのではないだろうか。



私も子どもたちの何故?に


答えられる大人でありたいと思っている。