ピアジェ(1896~1980 スイス)は、
子どもの精神構造の科学的な研究をおこなった心理学者です。
彼は知能を
「主体と外界との間の貴重な相互作用の手段である」
として、子どもは現実の世界を、自己の精神構造によって組織し直して
理解していると考えました。
児童の言葉の不完全さ(「それ」「あれ」など)は、
自己思想を社会化することに不慣れであることに
基づくものであるそうです。
また因果関係の欠如についても、言語そのものの欠陥からくるのではなく、
児童の心性に欠けているものなのだとか。
研究結果までを書き出すと長くなりますので、
簡略ですが以下まとめです。
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ピアジェは、児童の精神構造の諸特徴や発することばについて、
児童の非社会性を、
ある種の精神病者の非社会性から区別して「自己中心性」と呼んだ。
児童の自己中心的傾向は、
内閉症の心性と私たちの完全に社会的な心性との
中間に位するものである。
その機能において、実在に適応しつつ、
しかも社会化を目指さない点で両端の中間ということである。
児童の、①言語統計の実験を行った結果、
児童言語のうちに自己中心的な言語が多数占めることが証明された。
成人において大部分を占める言語機能が児童において
約半数を占めるに過ぎず、
本来の意味の会話といわれる、
私たちが日常使っている会話に比べれば、
極めて原始的なものである。
②児童の会話が原始的なものであることを証明する
実験においても自己中心性に満ちていることがわかった。
児童が自己中心的に言語を発し、
会話するのは、児童にほかの行動が不可能だからなのか。
ただ、自分の好みからそんな会話の仕方をしているのか、
ちゃんとした会話をやろうと思えばできるのではないか。
これらの疑問において、①②の実験のギャク証明的実験
の結果、
私たちが言葉を選んで話せば、児童は私たちがいった言葉を
驚くほど理解すること、
子どもが子ども同士話したのでは、
あまりよく理解しあわないことがわかった。
大人の言葉は社会生活を通して獲得された言葉であり、
子どもの言葉は真の社会生活がないところに
生まれてきたものである。
大人は他人に伝えなければ
労働もできないし、生活も不可能だ。
そこでどうしても言葉を洗練し、改善して、
私たちの真の要求を明瞭に表明しようと努力する。
子どもは何かほしいとき泣きさえすればいい。
子どもには言葉を発達させる必要がないのである。
子どもは何もいわなくてもわかってもらえ、
自らも言わなくてもわかってもらえるものと信じている。
これが自己中心性の根本原因である。
この傾向は7,8歳ごろまでつづく。
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「自己中心的」と聞くと、
勝って気ままなマイペースな人を思い出しますが、
子どもにとっては自然な形であり、
自己形成をしていく成長の過程には
大切なことなんですね。
思い出してみますと・・・・・
サンタクロースの存在を信じていたり、
お空に浮かぶ雲に乗れると信じていたのは、
7,8歳ころまでだったような気がします。
それまでは「おとぎの国の住人」だったんでしょうね。
子どもは何もいわなくてもわかってもらえ、
自らも言わなくてもわかってもらえるものと信じている。
こういう時代があったんですよ! 皆さんにも。