以前にもお話したことなのですが。
↑こちらのお話。
長文なので簡単に説明しますと、
新薬師寺の国宝
十二神将が、
国宝名とお寺で付けた名が違うという話なんです。
(四躯は同じ名前です)
明治時代、国宝指定のために役人が十二神将を訪ねてこられた際、お寺の方が、名前の書いた札を?
置き間違えちゃったらしいんですよねー。
そしてその札の名のまま?
国宝に指定されたとか。
笑うところじゃあないけれど、
正直に、あり得ないでしょ?
昨日も東大寺のお坊様とお世話になっている出版社の人と
こちらの問題のお話をしていたんです。
東大寺の方は「○○くんが今後、何かしらの行動にでるかもしれないな」
と言っておられました。
今、その○○さんは、修二会の練行衆として参籠しておられます。
28歳。
現在はお父様が新薬師寺のご住職をされています。
去年8月に遷化された先代とお父様が・・・
といったお家騒動話はさておき。
喪中なので、ご住職は参籠をひかえられています。
(東大寺の僧侶も喪中の場合、参籠をひかえられます)
新薬師寺は東大寺の末寺ですので、
こうやって練行衆をされたりするんですね。
四職(修二会の上位四人の役職)の堂司(行の進行役)までは、
末寺のお寺の方もなれるそうです。
リンクの記事で書いた内容の問題ですが。
この場で少しでも多くの方に知って頂くことで、
何かのきっかけになればと願っています。