戦後の壷阪寺ものがたり | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

「僧力結集」にも掲載されている内容です。
再掲載させて頂きます。


[日本ではじめての盲老人福祉施設誕生]


壷阪寺にまつわる戦後のお話について、
ご紹介しておきたいと思います。

現・住職、常盤勝範師のお父様のお話です。

奈良では、


西の辻村、東の常盤
と言われる、二大福祉事業団が存在します。


「僧力結集」では、


西の辻村様が理事長の宝山寺福祉事業団のお話と、

東の常盤様がご住職をされている壷阪寺からスタートした福祉事業団の

お話を掲載させて頂きました。

複数の福祉施設を抱えておられる二大事業団なんです。

壷阪寺の先代は、


お里沢市の伝説の地である壷阪寺に、


貧困にに苦しみながらお寺に足を運ぶ

盲老人の方がたくさんおられ、
何とかしたいと願いました。

生活保護法からスタートした戦後の、

まだ法整備のままならない時代でした。

そこで国に支援を請うことにします。

東京へ一人で出向き、厚生省の当時の福祉の所轄前に行き、
支援をお願いしました。

誰一人として相手にする人がいなかったそうです。

そこで先代は、
その場で座禅を組んで合掌したまま祈り続けたそうなのです。

3日間、断食です。

その姿を見かねた、違う管轄の職員がアドバイスを下さり、

お寺で福祉事業を行い、実績をつくるように言われ、
お寺の庫裏(くり)で盲老人とともに生活をしていくことになりました。


そこで実践を行いながら、実績をつくり、
国から支援をして頂くようになったそうです。


そして施設を造っていくことになりました。

当時、

本当の意味でぎりぎりの生活をされていた方のために福祉がありました。

日本が豊かさを手に入れていく時代と合わさりながら、

今のように発展してきたことを学びました。


食べることも事には事欠かない幸せ。

当たり前ことに感謝、幸せを感じて「生」を楽しんでいたいですね。



誰かのために頑張る気持ちが、
人を動かす原動力になっていくことを、

東日本大震災以降、あらためて実感する日々です。