米国二大政党の異なる対日関係史 4-1 | 愛する祖国 日本

米国二大政党の異なる対日関係史 4-1

 次のシリーズです。


本日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 / 深田 匠
第四章 米国の国際戦略
米国二大政党の異なる対日関係史 P.294-300

 過去の歴史を鑑みるとABCD包囲網・石油禁輸・真珠湾謀略・原爆投下・東京裁判・占領憲法押しつけなど、これらは全て民主党政権下で行われている。1932年の大統領選挙で共和党のハーバート・C・フーバー大統領が民主党候補フランクリン・D・ルーズベルトに破れて以来、1953年にアイゼンハワーが共和党大統領に当選するまでの実に20年間に渡り、民主党が政権を握り続け共和党は野党となっていた。そして開戦を目的とする日本への圧力も、日米戦争も日本占領政策も、全て20年間の内に行われた。

 反共主義者であるフーバーはソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の砦」と常々口にしていたが、政権が交代すると1933年1月に発足間もないルーズベルト政権は共和党の反対を押しきってソ連を国家承認した。ルーズベルトが掲げた看板政策ニューディールとは「新しい巻き返し」の意味で、通貨管理や価格統制、労働者の最低賃金や最長労働時間の法的保証、、労働組合の拡大促進、高所得者層への大幅減税(所得税最高税率75%、相続税最高税率80%への引き上げ)、その他様々なマルクス主義的要素を採り得れたもので、当然ながら共和党は猛反発していた。米最高裁も価値統制や高所得者懲罰税制を違憲と判決したが、当時大不況下の米国ではニューディール政策をめぐって世論が二分化されていったのだ。そして「ニューディール支持=親ソ容共=民主党」と「ニューディール反対=反ソ反共=共和党」という二大勢力が対立する中で、前者は日本を敵視し後者は日本に理解を示すのだが、それはすなわちアジアの「防共の砦」に対する認識差に他ならなかった。

 日本占領時代については、朝鮮戦線をきっかけとして1950年頃からGHQ内部における両党の影響力逆転が起こったが、民主党が主導する占領前半期の間に東京裁判や憲法制定その他の「日本弱体化」占領政策が実行されてしまったのだ。GHQの民政局や民間情報教育局はニューディーラー(ルーズベルトのニューディール容共政策の支持者)と呼ばれる民主党左派で占められており、マルクス主義に憧れるニューディーラーたちは、階級闘争史観に基づいて「日本悪玉史観」を宣伝するウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを実施し、ニューティーラーのスミス民間情報教育局長らの執筆による『太平洋戦争史』の新聞連載や『真相はこうだ』『真相箱』なるラジオのプロパガンダ放送で日本国民の洗脳を図った。さらに財閥解体・農地解放・共産党員釈放・共産党系労組の結成促進などマルクス主義的政策を続々と行い、例えばGHQ民政局が「労働組合組織をつくるための準備委員会」の委員に選任した15人の日本人の内の実に13人が日本共産党員であったくらいで、これはもう容共というより正に共産主義化そのものであった。1988年に竹前栄治東京経済大教授の取材に対して元GHQ民政局長C・ケーディスは、「共産党議長の野坂参三さんとは、よく話をしました。彼は私のオフィスにやってきて、党の方針を話してくれましたし、私も彼らがどのような考えや政策を持っているかを知って大変ためになりました。と語り、野坂を首相にしたらどうかという会話があったことも告白している。

 米本国では反共の共和党の目が光っているためにアメリカを共産主義化できずフラストレーションを溜めたマルクス主義者たちは、こうして日本で念願の「マルクス主義の実験」を存分に始めたのである。マルクス主義では君主制を完全否定する。そこでワシントンの民主党親ソ派の指示で、ニューディーラーによる天皇訴追の画策に対してストップをかけたのが共和党であり、共和党員マッカーサーに対してそれを阻止するように指示したのだ。またマッカーサー自身も、「自分が戦争の全責任を負い、身はどうなっても良いから国民に食糧を配給してほしい」と言われた昭和天皇に感銘を受けており、側近に対して「天皇を処刑することは、イエス・キリストを十字架にかけることと同じだ」と述べたことが記録に残っている。伝統的保守主義者のマッカーサーもまた、英王室や日本の天皇を敬うメンタリティが根底にあったのであろう。それは歴代米大統領を見下すほどに尊大な性格のマッカーサーが、1957年に園田直代議士及び加瀬英明氏との会見で、「私が世界で最も尊敬する人物は(昭和)天皇陛下だ」と述べていることからも伺える。

 そもそもマッカーサーは当初は、真珠湾攻撃における宣戦布告の問題だけを取り上げる簡易軍事裁判を想定していた。もしそのような裁判であれば、怠務から日本政府の指示した宣戦布告手交時間を遅延させた当時の在米外交官だけが裁かれ、逆にいえば「不意打ち」という国際的な誤解もなくなっていたことであろう。なお共和党は「平和に対する罪というものは存在せず、捕虜虐待などの国際法違反のみに限定するべきだ」と主張していたが、「平和に対する罪」で日本という国家全体を断罪するように命じたのは当時の民主党政権であり、GHQの占領政策においてはニューディーラーである民政局のC・ホイットニー局長やケーディス局長らが、政治経済に疎いマッカーサーを巧妙にコントロールしていたのだ。従って共和党は今でも日本を「侵略者」とは考えず「先制攻撃をした国」だと捉えており、さすがに公言はしないものの東京裁判には懐疑的な立場を取っている。

 なお、このGHQニューディーラーの多くは、「日本で共産党の政権奪取の計画を米国政府職員として積極的に援助した」として、1950年代前半に米下院の非米活動調査委員会(HUAC)で査問にかけられ公職追放されている。一例だけ挙げると、戦犯のリストアップや共産党員の釈放を担当したGHQ調査情報部調査分析課長E・ノーマンは、「日本軍国主義の根絶」を呼号して日本軍人を片っ端から戦犯に指定していった人物だが、FBIから「ソ連のスパイ」として追求され、米上院司法委員会の再査問を控えた1957年4月に自殺している。つまり5千人以上の共産党員を釈放する一方で、反共の軍人・政治家・官僚・教師・その他合計20万9千9百人をことごとく公職追放したのはソ連の意図であったということだ。

 日本の現憲法は、1946年1月7日に米国の国務及び陸海軍の三省調整委員会(SWNCC)が作成しGHQに通達した「第228文書」(通称「改憲調令」)によって制定が指示されたものであるが、SWNCCの中心であった当時の米国務省は親ソ派マルキスト主義者の巣であり、憲法執筆者にはマルキストばかりを選んでいる。GHQ憲法の執筆者の一人である親ソ派ニューディーラーのゴードン女史は、憲法草案を作成するためにソ連憲法や社会主義的なワイマール憲法を参考にしたことを認め、自伝の中で「1918年に制定されたソビエト憲法は私を夢中にさせた。社会主義で目指すあらゆる理想が組み込まれていた」とマルクス主義への憧れを吐露してもいる。例えば日本国憲法のの第25条(生存権)や第27条(勤労の権利及び義務)は、ソ連のスターリン憲法を丸写しにした文面であり、資本主義国の憲法でこれほどマルクス主義的な要素を取り入れた内容のものは他に1つもない。さらにGHQ憲法草案に設けられていた第36条は「土地及び資源などを全て国有化し、不動産の私的所有は認めず、個人の現有不動産は国からの貸借とする」という趣旨の完全な共産主義条項となっており、これはさすがに日本側も「アカ条項」と呼んで抵抗し、マッカーサーも削除を命じたぐらいであった。このように現憲法は「日本弱体化」のみならず、ソ連に憧れたニューディーラーによって「日本の社会主義化(ソビエト化)を目的にして執筆されたものであり、前述のごとく日本が疑似社会主義国になったのも憲法の下では当然の結果である。

 一方、GHQ内部でこの民主党ニューディーラーと厳しく対立していたのが、反共主義者の共和党員であったチャールズ・A・ウィロビー情報部長であった。当時GHQの内部には二つの路線対立があり、国務省系のGS(民政局)は占領内政担当で民主党左派すなわちニューディーラーによって構成されており、国防総省系のGⅡ(情報治安局)は軍務担当で共和党員が中心になっていた。このGSとGⅡが激しく対立していたのである。民主党の影響下にあるGS(民政局)は日本をマルクス主義化する実験と併行して「ウィークジャパン(弱い日本)をつくる」と主張しており、一方GⅡのウィロビー少将はニューディーラーたちが日本を左翼国家へ改造しようとする「実験」に強く反対し、「不必要なまでの日本の弱体化は国際共産主義を利する」と考えてストロングジャパン政策を主張していた。対ソ戦略のためには「強い日本」を維持させねばならないというのが、ウィロビーら共和党反ソ派の持論だったのだ。

 ウィロビーは「共産主義分子の総司令部への浸透」という調査報告書を作成し、ゴートン女史を始めコーエン、ハドレー、ビッソンその他多くのGHQ民政局・民間情報教育局・労働課等の職員が後に査問を受けることになる証拠を収集した。またウィロビーは、民政局員のグランダンツェフとキーニーの2人については「KGBのメンバーであることが確認された」と国防総省に報告して逮捕を要求してさえいる。つまり米本国同様にGHQの中でも、反共と容共(及び共産主義者)との戦いが展開されていたのだ。ちなみにこの民主党のウィークジャパン戦略と共和党のストロングジャパン戦略は、日本の主権回復以後もアメリカ本国で伝統的に継承し、前章で述べたような今もなお両党のその姿勢は変わっていない。

 GHQ内でウィークジャパン政策の急先鋒となったのがマルクス主義者のケーディス民政局次長であり、ウィロビーら情報治安局の唱えるストロングジャパン政策を抑えこんで憲法制定や諸々の日本弱体化政策を強行し、一方ウィロビーは「GSはアカの巣だ」と公然と批判を続けた。このGHQ内部のGSとGⅡの対立はさながら民主党と共和党の代理抗争の様相にあったが、政権与党の民主党系GSが実権を握る状態が続いていた。しかしソ連の脅威が増すにつれてトルーマンがルーズベルト流容共路線からソ連対抗路線へと転向していき、ニューディーラーたちは疎んじられて段々と実権を失い始め、共和党は日本国内のレッドパージをGHQに要求して一部を実行させることに成功した。やがて1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、米軍が中ソ軍と衝突したことを契機にさしものマッカーサーも目が醒めたのか、GHQの実権はGS民政局ニューディーラーたちからGⅡ情報治安局の反共軍人グループへと全面的に移行することになった。

 マッカーサーが戦争放棄を盛り込んだ憲法をつくらせたり、その一方で自らその憲法を否定する存在たる自衛隊(当時は警察予備隊)を創設させたり、また共産党員を釈放させたりレッドパージをしてみたりと、どう見ても一貫性のない矛盾する占領政策を行ってきたのは、ケーディスら民主党とウィロビーら共和党との綱引きがGHQ内部に存在していたことが、その理由の全てである。(なおマッカーサーは1950年5月に幣原衆院議長に対しヌケヌケと「日本は一切の武力を放棄すると言われたが、今日の世界情勢から見ると、それは何とも早すぎたような感じがする」と述べている。)

 ちなみにこのウィロビー(退役後は共和党系キリスト教団等を主宰)と親しかったのだが、反共主義者のローマ教皇使節代理であり靖國神社焼却に反対したビッテル神父だ。ビッテル神父の「靖國神社を焼いてはいけない」という主張をウィロビーらGⅡは支持し、自らも軍人であるマッカーサーもその意味を理解したのか、「焼却せよ」と主張していたケーディスら民政局に焼却禁止を命じた。靖國神社を守ってくれたのはビッテル1人ではなく、それを支持したウィロビーら共和党系の軍人たちのおかげでもあるのだ。

 東京裁判オランダ代表判事レーリンクは自著の中で、ウィロビーとの会話として「ウィロビーは私に、この裁判は史上最悪の偽善だと言いました。彼は私に、こういう種類の裁判が開かれたことで自分は息子に軍人になることを禁じるだろうとも言いました。彼は、日本が置かれたこのような状況下では、日本が戦ったようにアメリカも戦うだろうと述べました。(小略)日本には2つの選択肢しか有りませんでした。戦争をせずに石油備蓄が底をつくのを座視し、他国の情けにすがるだけの身分に甘んじるか、あるいは戦うかです。そんなふうに生存のための権利が脅かされれば、どんな国でも戦うだろうと彼(ウィロビー)は言いました」と記している。また同盟通信元編集局長の松本重治氏は、当時にマッカーサーの高等副官フェラーズ推奨(共和党員)に「戦争を始めたのは日米どちらか」と質問したところ、フェラーズが「ルーズベルトが戦争を仕組んだのだ」と怒号したことを紹介しておられる。このようにGHQ内部でも共和党系と民主党系は日本に対する方針や認識を異にしており、ときのアメリカの政権が民主党であったために、結果としてGHQの占領政策の大半はニューディーラーに主導されていったということである。私は前章で「アメリカは二つ存在している」と述べたが、本章では「GHQは2つ存在していた」ということも強調しておきたい。

 日米開戦に先立つ前の時期、共和党は日本よりもソ連を警戒しシナの共産化を怖れており、日米開戦には否定的な主張をしていた。当時、共和党のフーバー元大統領は「ソ連を助けて参戦することは、共産主義を世界に捲き広げることになる」と主張し、真珠湾攻撃に至るまでは共和党議員のほぼ全員が対日戦争に強く反対しており、「対日圧力を中止せよ」と民主党のルーズベルト大統領を批判していたのだ。大統領時代にフーバーは、満州事変に対して「日本に経済制裁を加えよ」という民主党やヘンリー・L・スチムソン国務長官(共和党員ながら容共・親中反日であったために、後のルーズベルト政権でも陸軍長官に起用)の主張を一蹴している。また1932年10月の閣議においてフーバーは、ソ連によるシナ赤化工作を警戒して「アメリカは日本と久しく深い友好関係にあったし、日本の立場をも友好的に見なければならない」という覚書を提出し、満州事変は日本の正当な治安維持措置であり日本は共産主義の防波堤だと力説している。共和党大統領予備選をフーバーと争ったロバート・A・タフトやA・バンデンバーグなども「不参戦」「対日圧力反対」を訴えており、従ってもし1932年の大統領選挙で共和党が勝利してフーバーが大統領であったならば、対日圧力もなく日米開戦に至らなかったことは確実だ。

 しかし残念なことに満州事変の翌年、1932年11月にルーズベルトが大統領に当選し、1933年3月の就任以降、1945年にルーズベルトが病死するまで3期連続してルーズベルトが大統領を努めることになり、民主党政権の親ソ反日傾向は日を追うごとに加速していった。正しい対日観を持っていた共和党の唯一の失敗は、ルーズベルト「不参戦」公約を信用した為に、ルーズベルト3選を賭けた大統領選挙において、共和党候補者W・ウィスキーが「参戦か不参戦か」を争点にしなかったことにある。もしルーズベルトが国民に嘘の公約をすることに抵抗を感じる人物であって「参戦」を公約していたならば、共和党が勝利していたことは確実であった。

次回へ続く
※忠実に引用していますが、漢数字をアラビア数字に変換しました。



 米国民主党は、日本の左翼と思想的にも連携しているので、保守陣営の立場からは明らかに政敵です。政権が米国民主党に移ると、左派の人材も必要となるので、自民党内に左派勢力が存在する理由でもあるでしょう。しかし、それではいつまで経っても、日本の真の独立が実現できません。米国のポチとなる理由はここに有るのです。そして、自民党が真の保守政党になりきれない理由でもあり、米国民主党が政権を取った場合に備えて、自民党内で左派が勢いづくのを批判する野党の保守政党が必ず必要となります。自民党は米国共和党と比べると、保守左派に位置すると考えるのが妥当だと思います。野党に真の保守政党が存在せず、外部からの批判を受けることがないことも原因でしょう。しかも、野党は極左翼勢力で占められ、今の日本の政治は、大きく左に傾いている状態ですので、超極右の政党が誕生しても足らないくらいです。米国民主党が政権を取った場合、日本への外交を失敗させ、米国内で米国民主党への批判が出るようにしなければならない時も来るでしょう。保守の方は、日本の将来の為に、維新政党・新風を応援してやってください。

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