「こころざしあって議員になったのに」 | 邪馬台猫の気ままな暮らし

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邪馬台国の有力候補地・大和桜井から
気まま暮らしの徒然を言いたい放題、書きたい放題!

昨日、畑で収穫した土筆を

卵とじにして頂きました

 

 

たいして美味しいモノでもなく

高価なものでもないけれど

 

シーズンに一度は

味わいたいのが旬のモノ

 

 

     

 

 

36年6ヶ月に及ぶ

サンデーモーニングを振り返りつつ

今日で番組を卒業した関口宏さん

 

番組に関わられた

コメンテーター諸氏のほとんどが

鬼籍入りされていて

 

初回の映像に見る若き関口氏も

すっかり容貌が変わり

老いの残酷さを思い知ります

 

「お前もその歳が来るんだよ!」

と凄んだ二階氏の無念も

分からんではありませんね

 

 

     

 

 

今の腐敗した売国政治家に憤り

国を思う人なら誰しも

「もしも自分が首相だったなら・・・」

などと思うことでしょう

 

けれど現実には

首相の座への道は遠く

 

市会、県会、国会で

コツコツと政治経験を積み

一段ずつ登っていかねばならない

政治家への道

 

 

     

 

 

政治の世界に踏み出す時には

誰も皆、立派な志を持っていたに

違いありません

 

それが・・・どうして

こんなことになってしまうのか?

 

誰が志ある政治家を

こんな風にしてしまったのか?

 

 

     

 

 

政治家は

選挙で勝たねばただの人

 

選挙で勝つためには

なりふり構わぬ選挙活動を

することになり

 

有権者の票を勝ち取るためには

利益誘導に走らざるを得ない

 

そうして政治家は

選挙を重ねる度に志を失って

ゆくのでしょうか?

 

 

     

 

 

そんな風に突き詰めて行くと

政治家をダメにしているのは

 

「おらが村に〇〇を!」とか

「当選した暁には・・・」とかを

政治家に期待する有権者かも?

 

「政治は国民を映す鏡」

と言われるのは

そ~ゆ~ことなのでしょうか?

 

 

     

 

 

熱い思いを抱いて

政治家の道を選んだハズなのに

 

幾多の選挙を切り抜けて

首相や大臣の椅子に座る頃には

国家国民のことはすっかり忘れて

 

その座を守ることしか

考えなくなってしまうのか?

 

 

     

 

 

真っ当な政治を求めるなら

私たち有権者が変わらねばならない

のかも知れません

 

腐った政治家を生み出す

選挙のあり方を考え直さねば

ならないということでしょう

 

『こころざしあって議員になったのに』

 

よみうり時事川柳の一句に

そんなことを考えさせられました