謎の遺物「分銅形土製品」の謎を解く! | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 前回の吉備の謎の続きです。

 

 赤磐市山陽郷土資料館に行ったとき、展示物のなかに「分銅形土製品」がありました。

 

【分銅形土製品】赤磐市山陽郷土資料館の展示

 

 分銅形土製品は、錘の分銅の形をしているので名付けられました。だいたいこんな形のものが多いです。

    ※亀田遺跡(太子町)出土品をもとに作成

    ※たつの市立埋蔵文化財センター図録14『新宮宮内遺跡の時代』より引用のうえ改変

 

 この分銅形土製品ですが、分銅として使用されたわけではありません。

 通説では、祭祀に用いられたものであろうと考えられています。

 ですが、私はどうしてもこの何となく愛嬌のある遺物が、祭祀用とは思われませんでした。それで、分銅形土製品の特徴から別の見方ができないか考えてみました。

 ふるさとの新宮宮内遺跡(兵庫県たつの市)から兵庫県で最多の21個が出土していたのも関心を持っていた理由でした。

 

【新宮宮内遺跡】

 

【新宮宮内遺跡出土の分銅形土製品】

  ※たつの市立埋蔵文化財センター図録14『新宮宮内遺跡の時代』より引用

 

 分銅形土製品の特長には以下のようなものがあります。

 

(1)形状は、円盤形で両側が内に向かってくびれている。まれに角丸の方形もある。

(2)大きさは、径5~10cmのものが多い。

(3)使用された時代は弥生中期から後期にかけてである。

(4)出土分布は吉備が中心であり、北の中国山地を越えて日本海方面への広がりと、瀬戸内海沿岸への広がりがみられる。

(5)文様が多彩である。ある程度の地域性は認められるが、全体としての統一感はない。

(6)割れた状態で出土することが多い。

 

 結論だけを記しますと、「弥生中期から後期の吉備が中心となっていたもの」という点から、「塩」に関連するものではないかと考えました。

 吉備の塩の交易に携わる商人がいて、彼らが瀬戸内海を九州から畿内まで、北の中国山地を越えた日本海側(伯耆、因幡、出雲)から越に至るまでの交易ネットワークを築き上げ、そのネットワーク内で使用されていたものだったのではないかと考えたのです。

 

★そのようなことをYouTube動画にまとめましたので、ぜひご視聴ください。

【古代史新説チャンネル】動画

分銅形土製品の謎に挑戦!(吉備の謎)

 

 

 

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