記紀の仮説 懿徳天皇 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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今回は4代 懿徳「いとく」天皇に関する記述を比較検討していきます。
懿徳天皇は、古事記で大倭日子鉏友命呼ばれ、日本書紀で大日本彦耜友天皇呼ばれています。
古事記上巻では、神代七代1番目に登場する国之常立神相当し、倭統治されたと思われます。
 
この方の即位の干支から推定すると、干支辛卯、日本書紀の記述どおり在位期間35年と思われます。
 
 
懿徳天皇 辛卯西暦BC89即位
孝昭天皇 丙寅→西暦BC54年即位
 
 
懿徳天皇の宮は、軽の境岡宮(日本書紀では軽の曲峡宮)となっており、 「軽」は古代の市とすると、孝元天皇と同様市の近くの神埼市千代田町境の近くではないかと思われます。
 
 
また、古事記の記載から以下の地名が想定できます
多遅痲の竹別→福岡市城南区田島
葦井の稻置→福岡県うきは市吉井町
 
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