記紀の仮説 仲哀天皇 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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今回は、14代 仲哀「ちゅうあい」天皇に関する記述を比較検討していきます。
仲哀天皇は、古事記では帯中日子天皇と呼ばれ、日本書紀では足仲彦天皇と呼ばれ、神皇后の夫でもあります。
古事記上巻では、火遠理命(山幸彦)に相当し、兄の火照命(海幸彦)との諍いに巻き込まれ、困って海神に相談して豊玉毘賣命と契りを交わす役です。
以前にも書きましたが、山幸彦は邪馬台国で、海幸彦は狗奴国を象徴しているように思われます
仲哀天皇は、魏倭人伝で卑弥呼が亡くなった後に登場する男王でもあり、神功皇后は豊玉毘賣命であると同時に魏志倭人伝で登場する台与でもあると思われます。
仲哀天皇や神功皇后の熊襲征討の話は、魏倭人伝での邪馬台国と狗奴国の抗争のことかもしれません。
仲哀天皇の即位年は、日本書紀の干支から推定すると、以下のようになります。
 
 
仲哀天皇 壬申西暦252年即位
神功皇后 辛巳→西暦261即位
 
 
仲哀天皇の宮は、筑紫の訶志比宮(福岡市香椎)であり、狗奴国と抗争していた有明海にも近く、辻褄が合います。
 
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