尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏のソロツアーで止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
来れないかもしれないコンサートだったので、ギリギリになってチケットを探した。
ゆるやかだけど、確実に容態が悪化している義父はいつ亡くなってもおかしくはなかった。仕事と看病に疲れて、家事にまで手が回らず、自宅と子供の世話は実家から母に来て貰い、世話を見て貰っていた。
義母も毎日、病院へ通っているけれど、自宅から病院まで片道1時間以上かかることと、乗換えが負担になるようだった。元々、身体が弱い義母には、自分の身の回りのことだけは自分でちゃんとやって貰い、入院中の義父の世話は私と夫が世話をすることになった。
平日は私が、仕事帰りに病院へ寄り、週末は主人が面倒くさがる子供達を宥めて、午後には病院へ出かけた。
本当は週末の午後くらいはのんびりしたかったけれど、母の負担を少しでも減らしたくて、買い物や水周りの掃除を丁寧にしていたら、あっと言う間に1日が終わるという現実しか待っていなかった。
他の家庭の『終わりの見えない介護』とは違い、終わりの見えている看病と言っても、いつまで続くのだろう?と思うと、心がクタクタだった。
「亡くなってからの方がもっと大変かもよ……」
母が時々、私に漏らす言葉だった。
母は祖父母と同居し、葬儀を経験している。そして、祖父がなくなり、無事に納骨も済ませた後で、程度が軽かったとはいえ、祖母が体調を崩し、3ヶ月ほど入院したのだった。その後も祖母は亡くなるまで、通院が欠かせない状態となり、母から自由な時間が消えた。
時には、私や妹が祖母の通院に付き添い、母には気晴らしに、一人で出かけてくるように言っても、母は自宅でのんびりと過ごすことを選び、化粧や新しい服というものが母から遠ざかり、友達のお母さんに会う機会がある度に、心の中で母の老け具合を嘆いていた。
{ 今夜こそ
熟睡したい!
昨夜も汗だくで、
クールベルトの効果ナシ……
猫もウロウロしてました
エアコンを使いたかった(悲) ]