今日、恋が実った人も、失恋してしまった人も、来年の今日が幸せであります様に!!!!! (^_-)-☆
※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です
自宅へ届きそうな火事の炎と母が入って行った自宅を見つめながら、とても長く感じられた三〇秒程の時間が終わった瞬間、私は地面に座り込んで、泣き出してしまっていた様だった。
気付くと、母がしゃがみ込んで、「ごめんね」を繰り返して、妹はそんな母の背中にしがみついていた。
そんな状態の中、爆発音が聞こえた。泣きながら、目を開くと、お隣の家の窓ガラスを突き破った炎が、遂に神戸の家に燃え移ってしまったのだった。
母は立ち上がって、振り向き、私も妹も母の身体にしがみついたまま、ただただ、自宅が燃えてゆく光景を見つめた。途中、母の顔を見上げると、母も涙を流していたけれど、声を上げることなく、静かに泣いていた。途中、母は私と妹の手を強く握りしめると、
「学校、行こうか? パパも、何かあれば学校へ避難する様に言ってたから……」と言い、坂道を上り始めた。途中、何度か建物が焼き崩れる音が聞こえたけれど、母は決して足を止めることはなかった。
小学校へ行き、体育館の入り口脇で母が学校の先生に事情を説明し、体育館へ入れて貰ったけれど、中は真っ暗で、何処に人が居るのかも分からない状態だった。母は体育館へ入る時に貰った毛布を手に妹の教室へ向かった。
帰宅と同時に火災が発生したので、布団は持ち出せなったけれど、ジャンパーを着ていたし、コートを持ち出していたことも幸いしていた。
きっと学校へ逃げたのは、まだ19時にもなっていなかったと思うけれど、自宅が燃える光景を見たことで、母も私達も精神的に疲れ切っていた。その夜はセーターを着込み、毛布の上に父のコートを座布団代わりに敷いた上に、私と妹が母の両側にしがみつく形で座ったまま眠った。勿論、私も妹も前日に買って貰ったばかりの帽子は被ったままだった。
途中、
「パパ……」という声に、ぼんやりと目を覚ました。妹の声かな?と考えながら、ウトウトしていると、再び、
「パパ……」という声が聞こえて、それは母の声だと分かった。
改めて、母が心細い想いをしていることに気付いた瞬間だったけれど、当時の私に母を励ます心の余裕は無かった。震災の恐怖に加えて、自宅が燃える光景を見た衝撃は余りにも大きかったのと、小学校三年生だった私にとって、母は“母親”、つまり“絶対的にな大人の一人”だったので、共に励まし合う存在ではなく、父と同様に、私や妹を護り、励まして欲しい存在でしかなかったのだった。