長い時間の流れの中で【3】 1・16 大雪と赤い月 | ぴかるんのブログ

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ピンクのポンポン

ピンクのポンポン★80(80-3)



※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です

 尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
  また、当時の天気をネットで調べることができなかったため、天気に関しては記憶違いをしているかもしれません。
 ニュースで(神戸市)須磨水族館の外の施設(遊園地にあるような遊具)が雪に埋もれてしまった映像を観た様な気がするのですが、もしかしたら、記憶違いかもしれません。


§☆§★§☆ V⌒⊥⌒V ☆§ ★§☆§

  震災当時、私は小学三年生、妹は一年生だった。

 震災の一週前の日曜、つまり冬休み最後の日に、家族で市内の大きな遊園地へ連れて行って貰う約束だったのに、父がインフルエンザにかかり、約束がダメになってしまった。

 そして震災の前々日の日曜日、父は同じ会社の人の結婚披露宴に出席するために、昼前に出掛けて、帰宅したのは夜遅かった。
 遊園地に連れて行って貰えなかった上に、成人の日でもあった15日の日曜日、インフルエンザが治ったばかりで無理ができないと言っていた父は、私達の就寝時間でもあった21時を過ぎても帰ってこなかったことで、“大人の付き合い”が理解できなかった私と妹には、納得できない気持ちが芽生えていた。
 「明日の朝な……」
 一緒の部屋で寝起きしていた私と妹は、電気が消された暗い部屋の中の2段ベッドの上と下で、翌16日の振り替え休日の作戦を練った。
 結局、その作戦で家族の最後の幸せな思い出を作ることになったのだった。


 「なぁ、パパ、どっか連れてってぇな」
 「私も、どっか行きたい」
 震災前日の朝、パジャマの上にセーターを着て、ダイニングテーブルに座った父に、私と妹は自分達の要求を口に出した。

 「でも、まだ雪、残っとうからなぁ」
 父は、そう言うと、珈琲に口をつけた。震災の前々日の日曜日の成人の日、関西は珍しく、大雪に見舞われていて、震災前日の1月16日も雪が残っていた。
 「昨日、ピザを頼んであげたでしょ?」
 母が父を庇おうとしたけれど、私も妹も容赦なかった。


 関西の言葉を話す父と、東京の言葉を話す母は、父が東京赴任中に知り合った。父の勤務先の東京本社で、派遣社員として受付を担当していたのが母だった。
 父の一目惚れで、母は最初は敬遠していたけれど、さり気なく無視をしようとしても、毎朝の様に、
 「おはようございますぅ」と挨拶をしてくる父に、母が根負けして、初デートの約束をしてしまったという話を、震災前年の10回目結婚記念日に聞いていた。
 当時の母は、外では関西弁の様な言葉を遣うことも多かったけれど、家の中では完全に東京の言葉で通していた。


 だから、母の父を庇おうとする言葉に、私も妹も生まれ育った関西の言葉で反撃した。
 「それは、ママが食べたかったからやん。私、大きい餃子の方が良かった」
 「私、唐揚げ」
 「でも、雪、ようさん(たくさん)、残っとうしな…」
 父が笑顔で言葉を返してくれた。ということは、私達姉妹の要求が叶えられる前兆だった。
 「平気やん、駅まで歩く(歩いて行けるよ)。な?」
 「うん、歩く」
 私の提案に妹も同意した。すると父が、
 「ほな、出かけるか?」
 「ヤッター!」
 私はガッツポーズをとった後、妹の方を向いて、妹と両手でハイタッチをした。なのに、母に再び、水を注された。
 「来週の方が良いんじゃないの? 来週なら、きっと雪も溶けてるし、お天気も良くなってるかもしれないし……」
 「絶対、そんなん、アカン。また、パパ、インフルエンザなるかもしれへんやん(患うかもしれない)!」
 「ほんまや!」
 妹も、母に負けたくなかったのか、私に完全に同調していたせいか、父が話をまとめる結論を出した。
 「分かった、どっか、行こ(行こう)! ママも文句はお終いな」
 「今から、お弁当を作るの?」
 「いや、遊園地は無理やから、水族館か天文台やな」
 「今日も寒そうなのに……」
 母はガッカリとしていたけれど、とりあえず、震災前日の連休最終日、私達家族は揃って出かけることに決まったのだった。

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{  久しぶりに浅草へ行ってきました♫
パッチ に会えました