祝♡山信食産♡設立50周年♡
本日
弊社山信食産は
設立50周年を迎えました!
この建物も
鉄骨は50年
祖母と弟たちの山信食産
創立は昭和30年
祖父
小山信清
小山は那子
新小岩で小さくやっていました
この時は
麩屋さんでした
復習
布に入れた小麦粉
水の張った
桶の中に入れ揉む
布の中は
グルテン(たんぱく)が残り
こちらが麩になります
そして
桶の中
水に流れるのが
デンプン(炭水化物)
それを
弊社では
2年発酵させたものが
久寿餅の原料です
お麩と久寿餅
このイラストで工程を
描きました
桶で揉む
グルテンは
奥の鉄板のところで伸ばし焼き
お麩へ
小さな桶に流し
溜めて
蓋の上に石を置いて発酵させてるのが
小麦でんぷんです。
それを蒸して
黒みつ、きなこをかけると
久寿餅です
1955年
祖父の時代
GHQ
大量に小麦が日本に入ってきました
食料もなかったので
アメリカは大量の小麦在庫を日本へ
お麩屋が一気に増えたそうです。
次第に
お麩は余り
軽く日持ちすることから
いまでいうスーパー、乾物屋で
安くたたかれ
また棚の上に置かれ
大変な日々が
おとずれたのは
父が生まれてから
しばらく経ってから
右下が父かな
真ん中が父かな
しぇ――時代ですね
祖父の時代話
父の時代話は
また年明けに。
とりあえず
山信食産の軌跡を
写真だけ貼っていきます
父は右
右2番目は親戚
祖父母
アルバムに書き込む父の言葉かな
父の字だ
らしくない・・・
住み込みで働いてくれた部長の結婚式
昭和です。
新小岩から東小松川へ
移転
これが50年前の設立時
山信食産
工場の中に住んでました。
昔の姿
この写真が
40年前くらいです
40年前
工場内をオートメーション化した父
叔母かな・・・
わかい
くずもちを
和菓子屋に卸すのをメインに
OEM
納品業者トップへ
父の偉業です
母似の
ぼく
かつての職人
若いみんな!!
なつかしい工場
それが
いまや
虹がかかり
虹が建物に色を付けてくださいました・・・・
工場街の近所から
モーテルピンクと呼ばれる色に(笑)
もっとひどく言う方もいっぱいいます(笑)
2011年
震災が起き
町が暗かったので
ピンクにし
こういう時こそ挑戦だと
工場直売を始めたんです
ハートの久寿餅も
恋する久寿餅って名前だった
映画
恋する惑星から
取ったんです(赤面)
ハートのある久寿餅屋になろう
と出発
火曜日だけの週一回販売なのに
看板作ってくださったり
挑戦は
地元の皆様も喜んで
花まで
くださって
嬉しかったです!
このタイミングに
ラジオ番組
憧れの
毒蝮三太夫さん!うれしかった。
町も喜んでくださいました。
「工場街のど真ん中だな、ここは。
え、なにかい
おまえんとこのくずもちは
近所の鉄くずで
つくってるそうじゃねーか
どーりで弾力が硬ぇ〜訳だ」
有難いお言葉いただきました。
調子に乗って
町中にのぼり立てる
もはや戦国時代
やなさんの一声ではじまったんだな
工場直売
そのやなさんに
つくってもらいました
くずもち新聞
町に4万部配る
町の掲示板に貼り
町会長の保土田さんに呼ばれ
公のとこに
営利目的のチラシを
ダメだよ貼っちゃ!と叱られ
なら
うちで売りなよと
息子の
保土田兄さんが一声くれて
フードセンターほとだ
懐かしい!!
社員のみんなが
はじめて
目の前で美味しいと言われ
よろこんで
がんばって完売しました!!
保土田さん
ありがとうございます
工場直売
東小松川工場会会長、副会長
にぎやかし
ありがとうございます
東小松川の人々が滅茶苦茶よろこんだ日
加山雄三さんが、やってきた
テロップ見れば
社長に大爆笑。
町中の笑いものになりました(笑)
加山雄三さんが
手にしているのが
クズクズシェイクの前
クジュースと恥ずかしい名前
これができたことにより
いまがありますね
息子が乳アレルギー
みんながソフトクリーム食べてた時
ひとりだけゼリーやガリガリ君を食べることになり
子を思うハートから
豆乳ベースの黒蜜きなこシェイク
シェイク
どれくらい美味しいかというと
販売で少し余ったシェイクの容器を息子に渡すと
見上げて飲む
顔にかかるくらい大好きだったんです(笑)
いま中三
学校帰ったら工場直売の日は
いまだに
勝手に飲んでます
地元船堀駅販売が始まり
売上は年々上がってます!!
地元の皆様
ありがとうございます。
2015年
1955年創設から
60周年を記念して
地元の皆様
1500人ご招待
クラウンK率いる
プレジャーB
クラウンサーカス呼んでしまいました!
おねえさまがたにも
盛り上げていただき
ありがとうございます
そして
2015年は
百貨店催事も始まり
山信食産で出ました
伊勢丹新宿店が最初の百貨店
山信食産では
久寿餅は
世に
知れ渡らない
そこで創立60周年を記念して
江戸久寿餅というブランドを起ち上げました
ブランドデザインを
プラスグラフィックス
堀内ご夫妻のお力添えで今があります
初の江戸久寿餅は
エキュート品川の10周年に呼ばれ
真知子さん
ありがとうございます。
雑誌も載るようになり
新聞の表紙
地元紙の表紙
自慢しろって言うから
町の人
まだ
僕のこと知らないって言うから(笑)
地元紙のカバーになったり
そして
だいぶはしょりますが
コロナ禍へ
また世の中明るくしたい!!という思いから
日本橋高島屋新館店
出店
友人がスンゴイ来てくださった
ありがとうございます
粋でキュートがコンセプト
コロナ禍の暗い世を明るく
高島屋からピンク使わないでくださいと言われましたが
ブランドカラーですと押し切りました!!
そして
新商品をつくりまくります
茅島さんの苺
下末農園さんのレモン
アンとくずもち (アンコの師匠:超有名菓子店のあの方ありがとうございます。)
金メダリストが投稿してくださったり
クズクズシェイクがマツコの知らない世界に!
アトリエキュイエールの
山﨑陽子さんのお力を借りて
チョコレート?
くずもち?
シンクズモチ
バレンタインデーで登場したり
銀座駅のコンコースに
クズクズシェイク
お金払ったらいくらの広告宣伝費なんでしょう!?
牧野監督、小泉大臣ありがとうございます。
ゆりあん
ミルクボーイ
名前きちんと覚えてないけど
大ファンの子が食べてくれたり
クズクズシェイクも進化し
いまや
世界の人から東京で一番おいしいヴィーガンアイスクリームに選ばれ
最も人気
いまだ一位です
東京一位=日本一位だと思います
今年は
地元の祭りは行列になる店になりました
おかげさまです
次?の世代
息子も
時給20円で
看板持つ仕事。
江戸川区の
いくつもの祭りで
ナンバーワンになったり
くずもちで
ナンバーワンは
祖父も想像したかな!
ビックリしたでしょう
創立68年
設立50年
歴史は信用!!
歴史もあるし
久寿餅愛もある
昨日いただきましたお言葉
愛は伝えないと伝わらない
先祖の皆様
ありがとうございます
父は生きてます
ありがとうございます
母もありがとうございます
皆様のお陰です
これを機に
愛を
ハートをもっと
伝えていきます。
餅は
くっついたら離れない縁起物
私たちのハートに限りはございませんが
ハート久寿餅に限りがございます
ハートのない時代に
ハートを贈ろう
など
名文句?もございます!(笑)
夢を描いた土居香桜里さんのイラスト
↑
小さい頃の兄弟四人
幼稚園から帰ってきたら
工場にお皿を持って
くずもちを貰いに来てる絵
僕と父
くずもち新聞配り
催事している絵
催事場にチラッと息子がいたり
お店を持つ絵
この絵の通りになってきております
さぁぁ~~
まだまだ物語は続きます!!
ハートを込めて
滅茶苦茶
精進します
設立50周年
皆様のご愛顧に感謝申し上げます!
(追伸)
国からの依頼で作っていただいた動画
くずもちの工程
見てやってくださいTHE MAKING
お読みいただき
ありがとうございます。(すしざんまい)