ここ2日程活動停止していた。
仕事はしていたけど、逆にそれ以外の事はなんにもしなかった。




突然突きつけられた問。




「お前は何がしたいん?」



漠然でそれでいてダイレクトで、大胆で不躾な問を突然投げられた。
一瞬頭が真っ白になり、答えられなかった。うーん、それとも答えたくなかった…?よくわからない。とにかく何も言えなかった。






そんな問を、今度は自分の言葉として、自分自身に聞いてみる。




「僕は何がしたい?」



ここからは少し、綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、この手の問への対応に困ったのは今回が初めてじゃない。およそ一年前からずっとこんな感じだと思う。




僕は、どうなりたい?
どんな人生を生きたい?
どんな夢を叶えたい?




昔は答えがいっぱいあった。
遠い世界を見に行きたいし、豪華な食事やスウィートルームも経験したい。クルーズ船で旅をして、日本一周、世界一周!
そんな事を夢に見て突っ走った頃もあったなぁ。




でも今は、そんな言葉がこの口からは出づらくなってる。噤んでいる訳ではない。言ってはいけないなんて思っていない。ぜーんぶ叶ったら良いなとも思う。



冒頭で僕に不躾な問を投げた人は、
「お金持ちになりたい。お金持ちになって、家を建て替えたい。」と言っていた。
ただ、へぇーと呟いた。それに対して答えられなかった自分が惨めに感じて悔しかった。今も少し嫌な気分になる。





でも、答えられなかったんじゃないと今になって思っている。きっと分かっては貰えないと知っていた。僕がやりたい事は、あるんだけど…あるんだけども(さっき上げた事)、そんな事よりもっと気になる事があって、そんな事より大切だと思うものがあって、そんな事より夢中になって追求したい事があって…。

それどころじゃなかったんだと、今は思う。ただ、その問が今日一日中頭の中にあってモヤモヤした日だった。

自分の人生をどうしたいのか。って考える事はここずっと考えたことはなかった。ここ最近は、
日本人がどうなったら、世界はどうなるのか。世界がどうなったら、宇宙とどうなるのか。
その先に平和な世界があるのなら、もし本当にそうなら、今何をすべきなのだろう…。正直こんな事ばかり考えている。

思えば昔、「愛」と「宇宙」というキーワードだけが頭に浮かんで、日常の中にそれを探し出したところからこの追求の旅は始まった。
「愛」から宇宙人の本に辿り着き。
その「宇宙」からまた愛を学び。
そこから日本に辿り着き。
日本神話や自然崇拝や江戸時代の生活や縄文時代の暮らしに想いを馳せるようになった。
そして今は私達日本人の中にあるものが、世界を救う大切なものだと思っている。それをどうにか伝えたい。この想いを言語化したい。形にしたい。体現したい。


これで精一杯だった。理由はたったこれだけだった。自分のしたい事を考える余裕はあの時無かった。それがそのまま、今の生き方に出ていると思う。だから、言葉に詰まって自己嫌悪に陥った。




夢を持つことは、悪いことでは無いと思う。むしろいい事であるとカテゴライズされる。
でもその前に、"持つべき夢"がある気がしている。その夢が叶う時、その後ろで何かが壊れてないですか?その夢は、世界に貢献し地球に負担をかけてませんか?人々の幸せを願うあまり、地球を汚しませんか?


コロナの影響は、人々に多大な悪影響を及ぼした反面、地球には良い影響を及ぼしているらしい。これが語る真実とはなんだろう?なぜ反比例するんだろう?私達のこれまでの使命はほんとに正しかったのか。








「お前は一体何がしたいん?」







その答えを用意するのはある意味で簡単かもしれない。でも、その前に、








『僕らは地球をどうしたい?』




何ができるのか、何をすべきなのか、追求したいだけなのかもしれない。