美しさを語る時
表面だけを見て、
それを語る事はできない。
カッコよさや凄さを語る時、
その表面に映るハリボテを見て
語る事はできる。
1つの広告が、
とても良く造り上げられていたとして、
それだけ見た時
「凄い」と思ってしまう。
あるいは「カッコいいな」と
思ってしまう。
でも、美しいかどうかを語る時
その広告の中身までを見なければ
それは語る事ができないし、
その言葉を用いる事はできない。
美味しいパンがある。
それを作る人の情熱を知る。
その工程の苦労を知る。
凄いな、カッコいいな。
と思う。
しかし、その成分を見た時
人に害があるものをつかっているのなら
「美しい」とは言えない。
もう、ごまかせないし、見て見ぬふりもできない。コロナはそんな重要な伝言を我々に残していくと思う。
本当はみんな分かってる。
それを選びきれないでいる事も。
人には毒だと知っていても、
農薬や添加物の方を選び
広告というカッコよさや凄さのベール
に包み、
持たせようと、しざる得ない今。
でも、コロナはそれらを全てぶっ壊すだろう。
人の価値観もぶっ壊れるだろう。
経済社会が万能ではない事を、
改めて知るだろう。
わかっているけど掴んでるもの。
わかっているけど掴めてないもの。
それを、掴み直すしか道はないだろう。
地球は今、とうとう美しさを求め始めた。
いや、それを否が応でも掴もうとしている。
私達はそれに、いつ気づくのか。
カッコよくなく、凄くなく、
美しく在ろう。