『プロフェッショナルとは、

プロである事を疑い続ける事。』








俳優、本木雅弘の言葉である。プロフェッショナルの番組で半年に渡る密着取材を見ていた。最後の「プロフェッショナルとは?」の問の答えが冒頭の言葉である。






"カッコいい人"がいる。その人は、周りの人がカッコいいと言うからカッコいい人。なのだろうか?








立派な人がいる。その人は周りの人が立派だと尊敬するから立派なのだろうか?






ある国の、とある国王が酷く威張っている。人を奴隷にし、自らは贅沢三昧し、民を虐げているとする。この王を、何も知らない民は「王」だからというだけの理由で尊敬していたとする。一国を束ねる王を、あるいは王となった歴史を見て、立派な人だと皆が口を揃えて言っていたとしたら、事実(王の本性)を知っている私達の目にこの王は立派であると果たして映るだろうか?








おおむね答えは【NO】であると信じている。
その人が、カッコいいかどうか、立派かどうか、美しいかどうかは、他の評価によるものでは断じてない。







カッコいい人というのは、カッコいい人に到達した人の事ではなく、今もなお"カッコいい人"で在ろうとしている人のエネルギーである。








立派な人というのは、地位や名誉や富を得た者のレッテルなどではない。今なお、立派な人で在ろうとするエネルギーが伝わった姿である。








「美しい人」になりたいと思うのならば、美しい姿を見せようとするのではいけない。それは、偽りのほんの一時の姿である。ハリボテの姿である。そこから感じられるエネルギーは美しく見られたいという幼稚な、卑しいエネルギーである。








"美しい人"というのは、どんな行いの中にも美しさを見出そうとする人の事である。どんなに罵倒したくなって乱れた自分の心でも、その中に美しさを見出そうとする人である。どれだけ世の中が汚れていても、その中に美しさを見出そうとする人なのだ。








「プロフェッショナルとは、プロである事を疑う事。」それはまさに、苦悩し、葛藤しながらもプロで在ろうとする姿。その横顔が「プロフェッショナルだ」と私達に言わせるのである。








私はプロフェッショナルである。俺はカッコいい。私は美しい。とまるでそこに到達したように見せてしまうのは、そうではないという事の証を見せつけている事になるのである。
それは、ハリボテを置きそれに騙されている人たちの上にあぐらをかいている姿。幼稚な卑しいエネルギー。








姿やカタチは偽れても、そこから出てくるエネルギーは偽る事ができない。偽りは一瞬、誠は常日頃。そのエネルギーの出所が明らかに違うのである。