その昔、日本に戦争がやってきた。
そして、勝った者たちが日本を知ろうと神社の戸を開いた。
でも、そこには何もなかった。ただの箱だった。なんの情報も得られなかった。だから、日本の歴史は神話にされた。
そして、日本はどんどん分からなくなり、当の私達も教育という洗脳で歴史を、事実を、心を書き換えられた。そして、日本人も西洋化し、文化も少しづつ変えられた。
でも、日本のそして日本人の魂だけは書き換えられなかった。なぜなら、日本人の魂は自由そのものだからだ。どんな価値観も文化も受け入れ、改善しより良くする能力が昔からあったからだ。
洗脳されたと思ったのは間違いだった。表面上はそうだった。しかし、水面下で、心の奥底で、隠された心。魂がその神社に込められていた。それは、他の人には見る事もできない。しかし、私達は、神社を訪れる度にそれを感じる。見ている。存在を確認する。
そうして、数値化も文字化も暗号化もされていない精神に、『心』というもので全ての日本人がそこにアクセスできる。
だから、書き換えたくても無理なのだ。むしろ、書き換えようとすればするほど、それを受け入れ活用しようとさえする。そして、自らの文化水準を高める事ができる。洗脳されたとみせて、洗練していくのだ。
神道はなにもない。教理教典も、強制力もない。でも、たしかにここにある。この心の中にある。
私は、地元の神楽保存会に所属している。最近、神道や日本文化に興味があるからだ。そんな私たがらこそ、その神楽がなんであるのか、神道の神事の一つである事を理解している。
でも、10年、20年もそれに携わっている先輩方は神楽の意味も、神道という言葉すら曖昧だ。昔から大切なものだと、先代や地域の先輩方より『言い伝えられてきた』。守らなければならないものだとしっかり認識している。ここに日本の魂、精神性を感じるのである。
教理教典など、日本人には必要なし。ルールや規則も、法律ですら必要ないのかもしれない。日本には、『心』がある。『精神』がある。それだけで十分なのかもしれない。私たちには、必要とするものがありすぎる。その必要性から事実を曲げなければならなかったり、嘘を刷り込まなければならないのかもしれない。しかし、日本のそして日本人の魂だけは誰も触れる事はできないのだ。
宇宙とは、ルールも決まりも法律ですらなく、ただ愛のみがあり、それだけで皆が平和に暮らし、幸せに生活し、人生を高めているという。お金すらないのだ。必要ないのだ。それだけの精神性が皆にあるからだ。戸を開け放っていても、安心して眠る事ができるのだという。(著書:アミ-小さな宇宙人より)
日本人にあるように、きっと世界中の人たちにも、すべてが必要ではなくなったとしても、それだけで皆が生きていけるものがあると思うのだ。それが、何なのかは、…まだ分からない。でも、日本人にはたしかにある。説明も必要なく、皆が初詣に行くように、試験や商売、挑戦を前に神社にいくように…。
私は、地元の名もないお祭りの小さな小さな場所で神楽舞の一部に参加させてもらった。その時、ものでもなく、言葉でもなく、感じた。その精神性に触れる事ができた。この背筋を伸ばさんとする。私自身の心を感じた。村人たちの視線を一気に集め、その代表として魔除けの儀を行う。その所作の一つ一つ。観客の視線一つ一つ。子供が無邪気に神社を走り回り、神と触れ合う姿。全てがこの狭い空間にこの土地の安全と反映を示唆していた。
大切なものは、遺すのではなく、心で繋いていき、その精神を守り続ける。説明も証明も必要ではなく、皆が幸せである為だけが重要なのだ。
それを守り続ける為に、見えづらくしたのだな。だから、本質的なものは見えないのだな。それが、一番良い保存方法なのだな。そして、一番いい普及のしかたなのだな。その人の心の解釈を大切にする。しかし、その全ては同根である。
神道の全てを、知っているわけではない。しかし、その性質や私自身の解釈だけで、この心は十分平和なのです。幸せを感じるのです。この国の"教え"とは、まさにそれだけが重要なのだと思うのだ。