「人生とはなんであるのか?」
こんな問いにぶつかった覚えのある大人は多いと思う。そして、自分なりに答えを見つけ邁進する者や、いまだ分らずに考え続ける者、あまり考えたくない者、考える事すら必要としない者。様々だろうな。
私は、そこに明確な答えを持たなくてもいいと思っている。答えを見つけ、邁進する方々はそのまま爆進したらいいと思うが、それは、その人が得意とするところであり誰もがそれを目指さなくても良いと思うのだ。
私は、人生とは『感じたい事を感じに行き、実際に感じる事』だと思っている。この繰り返しでしかないのだと思う。人生において"考える"と言うものはさほど必要ではなく、感じたい事を感じる為に、そのためにどうしたらいいかを考える程度で十分なのだ。
会社の上司が嫌なのは、その裏に潜んでいる本当に感じたい事を感じるヒントである。いつも一方を知れば、もう一方が分かるからだ。一つだと思っていた事は、実はその裏にもう一つあって、その2つで一つの意味を成す事だった。表裏一体である。でも、もっと物事を俯瞰してみれば、1〜100は全て繋がっていて全ては一つだったとわかる日が来る。
上司を前に「嫌だな」と感じたら、即座にその反対側にある物を感じてとってみよう。そう試みてみよう。ポイントは考えるのではないという事だ。そして、時間をかけることだ。自分が本当に感じたい事なんて、すぐには見つからないものだ。ただ、追求するのです。嫌だった上司はその日から追求材料の教材となるのです。
あなたが考えるなら、教材が必要となる。
しかし、
あなたが感じるなら、全てが教材となる。
そこから、本当に感じたい事を追求する人生がスタートする。
あなたは、
嫌だった上司の、その後ろに広がる『自由』を感じたいのかもしれない。または、その上司の隠れた優しさを引き出し、人と共感する事や分かち合う事を感じたいのかもしれない。はたまたその上司より優位にたち、優越感を感じたいのかもしれない。
それぞれの心に感じた感覚を、追求する為に考えて、動く事が主体的な人生となるのでしょう。ポイントは、時間をかけてじっくりと感じる事です。口に出さなくてもいい、誰に言う訳でもない。出世とか成功とかお金とか、世の中の"正解"というものに沿わなくていい。あなたが『今、何を感じてるのか、この先何を感じたいのか』だけが問われているのです。
感じたい事を感じに行き、実際に感じた事が本当に感じたいものではなかったとしても、それで大丈夫。やるべき事は変わらない。またその逆を感じようとすればいい。また同じ場所に戻ってしまうのか…と思うかも知れない。たしかにそういう事になるのかも知れない。でも、感じ方は全く違うはずである。以前より、感じた事が増えているから、両方を知り、良い事悪い事をしり、大きく振れた振り子は次第に中心へと落ち着き始める。
そうです。本当に感じたいのは、最初に感じた事の逆ではなく、その中間地点である事を知るのです。それには、自分の気持ちいい事と気持ち悪い事を両方感じる事が必要なのです。中間地点が分かれば、その両端にある感覚も分かる為、人生の感じ方の幅が広がるでしょう。
人生はその分豊かになるでしょう。
豊かさとは富ではない。選択肢の数だ。富が一番手っ取り早くその選択肢を増やせる方法なだけなのだ。しかし、"感じる"事に富は関係がない。富を持つ者が持っているものと、あなたが今持っているものは確かに違うのかもしれない。しかし、それは頭で考える領域を超越できていない。『感じるならば、全てが教材となる。』あなたの周りにいるすべての人、すべての出来事、すべての風景、それらは富を持った者がいくら富を積んだとしても、あなたから奪うことができない唯一の世界。また富を持った者がもっているものもその人がもっている唯一の世界。
同じなのです。富がある人にはその人の世界が広がっている。私には私の世界広がっている。ただそれだけなのです。すべての人には、同じようにその人の無限の世界が広がっている。考えれば考えるほど、その世界が狭くなる。選ぶからだ。しかし、感じればその世界全てをを満喫する事ができる。
その"人生の追求"に夢中になった人から、いろんなものが必要なくなってくるのです。自分の人生に夢中になれていない人は、もやーっとした雲が世界を覆っています。それを直視することを避けた人は、往々にして誰かの人生を気にしだす。多くのセミナーに行ってみたり、飲み会で誰かの愚痴を言ってみたり、誰かと比べて落ち込んでみたり。自分の人生を横に置き、人の人生を見始める。そうやって、この人はこうであの人はあーでと、考える事が多くなる。中には、あの人は良くて、あの人は悪い。と選びだす。それは、感じることをせず、考える事を多くしているからなのだ。
もやーっとしたなら、それを感じてみる。モヤモヤを感じきる。その感覚が分かったなら、じゃあその逆はどんな事なのかを感じてみる。感じれたなら、実際にそれを感じる為に動く。その為に初めて"考える"ことが必要になる。自分が感じたい事を感じる為にのみ、頭を使えば、人を否定したり、ジャッジする事もなくなる。ただただ、自分の人生を追求する"道筋"に立てるのだ。そこに、誰かが干渉する余地はない。
『自分の人生を生きよう』という言葉は、それ自体は間違っていない。ただ表現が理解しにくい。生きたいように生きる聞くと、自分は何をしたいのか、どう生きるべきかと「考えてしまう」。そうではなくて、『感じたいように、感じてみよう』と置き換える。すると、何が必要かではなく、今、【目の前の事をどう感じるか】という非常にシンプルな、そしてクリエイティブな課題となる。それを実感する為の方法など無限にあるのだ。その目線からみれば、人生においてやらなければならない事は、なんだっていいのだと分かる。あなたが感じたい事を感じる為ならなんだっていいのです。
仕事を決める前に、趣味を決める前に、人生を決める前に、まず、感じてみましょう。
【まず感じる事。それについて考える事。】
順番を間違えなければ、必ず幸せになれます。